呉ノ朱

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  四.  

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「ホントに!?」
翌日のこと。登校してマリにそっと昨日の羽柴とのことを告げると、前の席のマリが身を乗り出して千鶴と羽柴を交互に見た。
羽柴は嬉しそうにピースサインを出していたが、千鶴はなんとなく恥ずかしくて頷いただけに留める。
と、羽柴の前の席の男子生徒がくるりと身体をひねって、他の生徒を向く。
「羽柴と若名がつきあったってー!!」
大きな声だった。ざわ、とざわめきが起こって、そして視線が集中する。千鶴は青ざめていいのか、赤くなっていいのか混乱する。
羽柴が他のクラスメイトから背中を叩かれていた。千鶴はそれを伺うように見て、身を縮める。こんな大事になるなんて想像もしていなかった。
「マジで!?オレもつきあいてー」
「もうオレのだからな。手、出すなよ」
冗談めかしてそう言う羽柴は終始笑顔だ。けれど千鶴は曖昧にしか笑えない。
羽柴を囲んだクラスメイトの向こうで、何人かの女子が千鶴を睨んでいるのがわかる。その表情は露骨に、なんであんたなんかが、と、言っているように思えた。
「――五月蠅い」
バン、と、教室のドアが勢いよく開けられて、喧噪が一瞬で止んだ。
槇がこの上なく不機嫌な顔をして、そこに立っていた。
「何の騒ぎだか知らんが、もうHRの時間は始まっている。とっとと席につけ」
槇はツカツカと教卓に向かい、それを見た生徒の何人かが小さく舌打ちをした。眼鏡の奥の瞳がよりいっそう厳しく、千鶴を見ている。
千鶴はなんだか、泣きたくなってしまった。
あちらこちらから睨まれて、こんな気持ちになるくらいなら、昨日羽柴の手を握るんじゃなかった。
俯いた千鶴に、隣の羽柴が小さく、ゴメン、と言った。
けれどその言葉にも、千鶴の気持ちは少しも晴れなかった。


その時間も千鶴にとって苦痛だったが、休み時間になると、朝の比ではなかった。廊下を歩くたび、移動教室のたびに、誰かが千鶴を見ている気がする。
聞こえるようになんであの子と、と囁く声もあった。
羽柴はきっと、そんなことに気づいてはいない。
まだ一日だ。手をつないで帰っただけ。それなのに。
……こんなものが恋なら、要らない。
マリが謝っても、羽柴が笑わせようと笑顔を向けても、千鶴はどうしても、上手に笑えなかった。



「幸せそうには見えないな」
化学準備室で、槇が千鶴を見下ろしていた。千鶴ははっとして、槇を見上げる。
ぼーっとしてしまっていた。棚からファイルを取り出したまま渡すのを忘れていた。
「……羽柴とつきあっているそうだが」
槇は棚に寄りかかって、千鶴を見ている。その表情は険しかった。
確かに今朝、そのことで教室を騒がせてしまったしいまぼーっとしていたのも千鶴が悪い。でも槇にまでこんな風に冷たい声を出されては、千鶴ももう堪らなくなってしまった。
「恋も結構。だが…………、どうした?」
俯いたままの千鶴に、槇が言葉を切った。ぽつ、と、涙が床に落ちる。
「もう、やめます」
口に出した言葉はか細く震えている。いやだと、叫んでしまいたかった。
一度瞳から零れた涙は、もう止まらない。
う、と呻きが口端から漏れる。
「先生までっ、そんな目で見ないでください……っ!」
槇を睨むように見上げて、ぼろぼろと頬を涙が伝っていった。
一度堰を切った感情の波は、そう簡単には静まらない。両手で顔を抑えた。涙が溢れて止まらない。
槇は目を見開いていた。寄りかかっていた身体を起こすのがわかる。
「――悪かった」
槇の手が、千鶴の頭に伸びた。あの時のように頭に乗せられるのかと思ったが、そのままぐい、と引かれて、頬に暖かいものがついた。
片腕で、頭を胸に押しつけられる。千鶴はそのことに驚いて、涙が止まった。
そうっと見上げると、槇が自分を見ていた。
見たことがない表情だった。普段と何が違うわけではないのに、穏やかで、優しい顔。
「すまなかった」
ぐっと、片腕だけで胸に押しつけられる。槇は目が合うと、ばつが悪そうに視線を外した。
冷たい人だと思っていた。けれどいま頬に感じる槇の体温は暖かい。
鼓動が聞こえる。仄かに、大人の男の香りがした。それがなんだかとても切なくて、また泣きたくなってしまう。
「……先生のせいじゃ、ないんです。八つ当たりです。ごめんなさい」
顔を手のひらで拭って、身体を離した。昨日、羽柴と手を繋いだ時よりもずっと、胸がどきどきとしている。
槇は困ったように眉根を寄せて、そして背中を向けた。
「そうか」
それだけ言ったきり、もう口を開かなかった。槇も、千鶴も。




それからの数日は、同じような日だった。
相変わらず千鶴はどこでも注目されているような気もしたし、けれどそれを察した羽柴がさりげなく、守ってくれていた。
放課後、槇のところへと行き、部活を終えた羽柴と帰る。
手を繋いだりはしたけれど、会話はとりとめもない、今までと何も変わらないもの。
休日には電話があった。どこかへ行かないかと誘われたが、千鶴はなんとなくそれを拒んでしまう。
嫌いではない。嫌いではないが……好きでもない。
羽柴に対する気持ちは、そんな言葉で片づけられるようにさえ思えた。

――あれ以来、手紙は入っていない。当然だ。
けれど千鶴は、羽柴と一緒にいればいるほど、あの手紙を羽柴が書いたものだとは思えなくなっていた。
羽柴は確かに魅力的だった。けれど最初の手紙から千鶴が感じたような切なさを、羽柴には見つけられずにいる。
そんな戸惑いが強くなり出した、いつもと同じはずの放課後。




今日は一緒には帰れないと、羽柴から言われていた。
珍しく一人で、もう習慣のようになってしまった隣の下駄箱を開ける。
そこに、また、手紙が入っていた。
それを見た瞬間、驚きよりも、確信が強くなった。
急くようにしてそれを取り出す。あの、綺麗な文字。

君が好きだ。君が好きなんだ。忘れられない。
忘れられないのは、誰かのものになってしまった君。


返事だ、と、その手紙を握った。
誰かのものになってしまった君。それは自分のことだろうか。
鞄を床に置き、手帳を取り出す。そこに今までの3通が大切にはさんである。
丁寧に畳んであったそれを開いて、見比べる。最初の2通と、いま拾ったその手紙の文字は同じだったが、「好きだ」とだけ書かれたその手紙だけ、筆跡が違っていた。乱暴に書かれていたから崩れているだけだと思っていたが、こうしてきちんと見比べると、やはり違う。
千鶴は鞄をかけて、グラウンドに走る。
多くの部活の生徒たちが帰り始めている中、羽柴は顧問と何か話をしていた。千鶴は隠れるように、羽柴を待つ。
訊かなければならない。この手紙は、羽柴が書いたものではないのかと。
5分ほど経ったところで、羽柴が一人、校舎の方へと戻ってきた。
「羽柴くん」
声をかけると、瞬間驚いた顔をさせて、そして笑う。
「なんだよ、先帰ってていいって……」
「この手紙、羽柴くんが書いたものじゃないよね?」
言葉を遮って、千鶴は手元の3通のノートの切れ端を見せた。
羽柴はそれを受け取って目を走らせる。そして、首を振った。
――やっぱり、違った。
千鶴は顔を曇らせる。羽柴ではなかったのだ。
「……話があるから、一緒に帰ろう?」
「わかった、ちょっと待ってて」
いつもとは違う千鶴の様子に何かを察したのか、羽柴は校舎に駆けて行った。


「そっか。……ごめんな」
「なんで謝るの……?」
悪いのは自分の筈だ。つきあえないと告げた千鶴に、けれど羽柴は笑ってみせた。
「オレとつきあってからさ、若名、全然笑わなくなってたから。ごめんな」
千鶴は首を振った。自分の方こそ、酷いことをしているのではないだろうか。折角好きだと言ってくれたのに。
「好きな奴でも、できた?さっきの手紙の奴とか」
「え……」
好きな人と言われて、また槇の顔が浮かぶ。どうしてだかわからない。手紙が羽柴からではないのかもしれないと思った時も、なんとなく、槇のことが浮かんでいた。
「友達でいてくれな。オレ諦め悪いから、まだ若名のこと好きでいるかもしれないけどさ。それくらい、いいだろ?」
「……ありがとう」
羽柴は両手を首の後ろに回して組んだ。もうあの手と繋ぐことはきっとない。
恋ではなかった。けれど、友達としては誰よりきっと、好きなひと。
千鶴は立ち止まった。そして、学校の方を振り返る。
――確かめたい。あの手紙は、槇からではないのか、確かめたい。
「私、忘れ物しちゃったから学校戻るね」
「ああ。気をつけてな。また明日」
名残惜しそうに羽柴が微笑んで、それを見て千鶴はまた少し胸が苦しい。けれど踵を返すと、駆けだした。
胸のポケットに、あの手紙が入っている。
綺麗な字。男とも女ともつかない字と文章。
槇があんな文章を書くとは到底思えないけれど、なぜだかとても、槇のことが気に掛かる。
暗くなっていく道を、千鶴は息を切らして走った。
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