呉ノ朱

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  七.  

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週に一度の、早朝定例風紀委員会会議の中で、灰谷は百花のボディーガードを上級生の女子生徒と交代することとなった。
化学部員三名の自供から、部活動の一旦と称して作っていた薬を鴉に食べさせ調査対象としていたことが判明し、事件は収束するかと思われた。
先日、百花を襲った人間は、今回の鴉殺し事件に便乗した愉快犯だろう、という結論で落ち着き、その犯人は未だに見つかってはいない。
しかしそれも、時間の問題だろう、と灰谷は思った。
「いろいろ苦労かけたな。大変だったろ、モモのお守は」
会議を終えてかけられた労いの言葉に、灰谷は苦笑いを返す。
そしてふと、百花が言っていた言葉を思い出した。
「つかぬことをお伺いしますが……」
ん、と十巴が灰谷を向く。もう十巴の前で緊張しすぎるということはなかった。
「十巴先輩が、好きな芸能人って」
質問が終わるか終わらないかといううちに、十巴が早口で言った名前は、いわゆる刑事ドラマやサスペンスものには欠かせない俳優の名前。
その答えで、"学食のオバチャン犯人説"の一件、また"十巴のシュミ"というあの手錠のことを、理解した。
おそらく彼女は、刑事ドラマのフリークなのだろう。
「…………ありがとうございます」
思わず笑いがこみあげそうになりながら一礼でそれを隠し、部屋を出た。
廊下を教室へと向かいながら、そういうことだったのか、と、百花にもう伝えることはないのだろう、と、なんとなくそう思って、少しだけ胸が痛んだ。


それからは何もかもが灰谷の予想通りで。
授業中に百花の視線を感じることはなくなり、灰谷は授業に思う存分集中することができたのだし、昼食には購買のパンではなく、学食のカツ丼を思う存分ほおばることができた。
放課後も、誰かに見られるのではとビクビクしながら彼女を家まで送り届ける必要はなくなり、風紀委員会の仕事に精を出して……、彼が願っていた穏やかで目立つことのない学園生活が戻ってきた。
――彼女は、また別の相手を見つけたのだろうか。
学園内であんなことを繰り返せば、さすがに噂のひとつも立ちそうなものを、相変わらずミス鷺ノ宮の色恋に関する噂はひとつも耳に入ることはない。

そんな何も変化のない数日が経とうとしていた時だった。

放課後の彼女を見かけたのは、久しぶりのことだったような気がした。
護衛らしい女子生徒と並んで、けれど百花らが向かったのは、昇降口の方角ではなく、化学室、生物室、LL教室などの技術教室が入った離れ校舎棟の方だった。
わずかにひっかかるものを感じたものの、もう関係のないことだ、と、灰谷が風紀委員会室へと入ると、十巴や行幸とは別 に、見慣れた顔があった。
百花の護衛をしているはずの、五学年の女子生徒だ。
「どうして先輩が……」
百花と一緒ではなくここに、と声にするより先に、厭な予感が背中をぞくりと駆け上がる。
灰谷は思わず、いま来たばかりの風紀委員室を飛び出していた。
「? なんだ?」
残された十巴たちはただ怪訝に彼を見送る。と、十巴のポケットからメロディが鳴った。
「はい。ああ、槇先生。こちらは……」
解決しそうです、と、言葉を続けようとした十巴の顔が強ばる。
「――はい。はい……じゃあ、別に……?」
険しい表情のまま話を続けた後、電話を切った十巴はしかめた顔で、行幸を向いた。
「鴉から検出された薬物と、化学部員から押収した薬物が一致しないんだそうだ」
「どういうことですか?」
隣で聞いていた女子生徒が、只ならぬ雰囲気に青ざめる。
「化学部が作っていたのとは別に、誰かが薬物を作っていた、ってことか……?」
十巴は一度口元を押さえ何かを考え込むようにすると、さっと顔を上げた。
「さっき、どうして先輩が、って言ったよな、あいつ。それ、どうして護衛がここにいるんだって意味だったのか?」
「百花さんが、今日は大丈夫だからって断られて……」
女子生徒がそこまで言ったところで、十巴もまた、青ざめた。
――百花を呼び出した人間がいる。
「あたしたちは百花を探すから、行幸は犯人探しの方を、頼む!」
十巴は行幸の返事は聞かずに飛び出した。
それは彼への信頼でもあった。
あまりにもな俊足で駆けていった十巴の後ろ姿を遠く見やって、行幸はふう、と息を吐き出す。
「廊下は走るなって言ったのに。……ま、仕方ないか」
呟いて、生徒会室へと向かう。
この時間なら、"彼"はあの部屋にいるはずだ。
確信をもって、生徒会室の二重引き出しの奥、先代会長から秘密裏に受け取った学内総ての教室の鍵からひとつの部屋を選んで握った。
……化学準備室、と書かれたその鍵を。
実のところ、行幸がこんなにも余裕があるのは、おそらくごく初期から今回の一連の筋書きを、勘づいていたからに他ならなかった。
だからこそ彼は、この学園の統治者でいられた。




「ね、灰谷くんが呼んでる、なんて、嘘ね」
隣に並んで歩いていた女子生徒が、百花の囁くような言葉にギクリと体を強ばらせたことを見逃さなかった。
「な、んでそう思うの?」
しかし彼女はあくまで親しいクラスメイト、の表情を崩さずに、百花を廊下の奥へ奥へと誘ってゆく。
「だって、灰谷くんから百花を呼ぶことなんて、一度だってなかったもの」
百花はそう言って、微かに笑った。自嘲のような笑みだった。
「あら、あなたたち、仲良くしてたじゃない」
「よく、知っているのね」
彼女の言葉は、あの日、鴉を落としたのは自分です、と告白したようなもので、百花は内心、腹がよじれそうな心地になる。
もしも普段、百花と灰谷が一緒にいるところを普通に見かけたのだとしたら、どう間違っても"仲良く"なんて言葉が出てくるはずがないのだ。
そんな言葉が出てくるのは、灰谷が百花を怒鳴りつける声が聞こえないくらい遠く――屋上で、自分たちを見下ろしていたからに他ならない。
ああやっぱり自分は、相当性格が悪いな、なんて思いながら、彼女が次に何をしてくれるのか待つようなわくわくした気持ちになった。
「ここ?」
招かれた先は旧校舎の普段あまり使われていない一室で、そして百花の予想通り、灰谷の姿はなかった。
「あれ?灰谷くん、いないけど……」
「そう?トイレにでも行ってるんじゃない?」
もう既にこの時点で大声をあげて笑ってしまいたかったのだけれど、百花は必死にそれをこらえる。
カチリと音がした。鍵をかけたんだな、と、冷静なままの頭で思う。
そして次のセリフはきっとこうだ。
「"――藤篠さん、私ね、アナタが嫌いで仕方ないの"」
百花はくるりと彼女を向き直って、本来ならば彼女が言うはずだった言葉を笑顔で彼女へと告げた。
「!?」
愕然とした彼女の表情に、自分の推理がなにひとつ間違っていなかったことを知って、百花は思わず自分を褒めたい気分になる。
「どうしたの?仁科さん」
クラスメイトは明らかに怯えていた。そんなに怖い笑顔だろうか、と、百花は思わずちらりと窓を見やる。
「モモを怖がらせたくて、鴉の事件に便乗したんでしょう?モモ、あなたに何かした?」
ああ笑顔は崩れていない、と、百花は自信をもって再び彼女を見つめる。
こわばった表情のままだった仁科というその女生徒は、ようやくぎこちなく百花をにらみ返す。
――こうでなくっちゃ。
百花は背筋をゾクゾクと駆け上がる感情を抑えられない。
「そうよ!アナタが嫌いだからよ。ちょっとモテるからっていい気になって……」
「ちょっと?」
百花はピクリと片眉をあげた。しかしそんなこともおかまいなしに、まくしたてる彼女の叱責は続く。
「人のモノまで盗らないでよ!」
「人の……モノ……?灰谷くんのこと?」
顔を真っ赤にして叫んだ彼女の言葉に、百花はまるで心当たりがなかった。
百花がここのところ親しくしている男子生徒といえば灰谷くらいなもので、では彼は、この目の前のクラスメイトの所有物だったのだろうか、と。
「誰があんなメガネデブ!!」
いっそう怒りで真っ赤に顔を染めた彼女の怒号で、自分の考えが間違っていたことに内心、ホッとした。
同時に、彼女の吐き捨てた言葉にぴくりとこめかみがひきつる。
それでも笑顔は崩さなかった。
「確かに灰谷くんはメガネだし太ってるけど……」
「はぐらかさないで!」
キーキーと、超音波さえ発生させそうな高音で、彼女はキレイに巻いた黒髪を振り乱した。
「つまりはあなたの恋人が、モモが好きだからってあなたと別 れたのね?」
「そっ、そうよ」
百花はうん、と頷いて、内心またか、と思いもした。
二学年の頃からだろうか。自分がミス鷺ノ宮に選ばれた頃から、こういう状況にはもう慣れてしまっていた。
言い分は皆同じなのだ。百花が"ちょっと"可愛いからだとか、百花が"ちょっと"男子生徒に人気があるからだとか。
灰谷に対してだって、そうだ。
蔑み侮り、妬み嫉み他人を非難している暇があるのなら自己研鑽に精を出せば、と言いたくなるが――火に油を注ぐのも面 倒なので、黙っていた。
「あのね、モモはあなたの恋人が誰かも知らないし、おつきあいしている人もいないの」
「嘘!」
そして反応も、皆同じ。
どうして彼女らは、ここまで自分が正しいのだと盲信し、いわれのない追求をできるのだろう、と、その情熱が羨ましくさえある。
「それにね、モモはもしあなたの恋人がおつきあいしてって言っても、お断りするわ。だって」
何度も何度も読み返した台本を再演するような飽きた心地で、けれどそうとは悟られないように、百花は少し眉根を寄せた微笑を浮かべた。
「だって見る目がないもの。あなたのような人と別れて、モモの方がいい、だなんて」
それは勿論、本音ではなかった。容姿云々の問題ではない。
嘘も方便、とは、よく言ったものだと思いながら、いつもの通りの筋書きでコトがただ収束することを見守ることとする。
だが、今日は少し様子が違っていた。
「そうよ!だから……だからアンタなんて、死んじゃえばいい……」
百花の毒を含めた言葉に気づく様子もなく、真っ赤に泣き腫らした目は、もう可憐な女子生徒の面 影を残していなかった。
カチカチカチ、と、カッターナイフが長く伸ばされる。
ああそんなに刃先を出したら、刺さる前に折れてしまうのにな、なんて、百花は暢気に思った。
「ちょっとくらい可愛いからって、なんの努力もしないで男に好かれて、騒がれて……っ」
「ちょっと?」
また眉がぴくりと上がる。
普段滅多に苛立つことのない百花の血圧を上げる言葉が、ふたつも登場した。
「そうね。あなたは努力家なのね。羨ましい」
静かな声で、百花は彼女に対峙した。一歩、彼女の前へと歩みを進める。
「近寄らないで!」
「どうして?モモのこと、殺すんでしょう?」
百花は笑った。
彼女は少しばかり、運が悪かったかもしれない。
この数日、百花は気が立っているのだ。
ましてや彼女はさっきから幾度となく、百花の神経を刺激した。
「殺していいわよ。憎いんでしょう?大丈夫、一人殺したくらいじゃ死刑になんてならないわ。せいぜい無期懲役。10年くらいで出てこられるんじゃない?」
また一歩。極上の笑顔を浮かべて近づくごとに、彼女もまた後ずさった。
「モモがいなくなったら、きっとその彼も戻ってくるわ。だってアナタよりちょっとだけ容姿が優れている人間がいなくなるんですもの」
「こ、来ないで……」
ヒュ、と彼女が振り回したカッターが空を切る。
……なんだ、これではまるで百花が彼女を虐めているみたいではないか。
「イヤアアアアァッ!!」
耳をつんざくような絶叫だ、と、百花は冷えた頭でそう思った。
そして同時に、派手に木が軋んで弾ける音と、ガラスが飛び散る音。
鍵が閉められていたはずの扉を振り向けば、まるでスローモーションで、巨体が扉と共に、空を飛んでいた。
灰谷が体当たりで扉を開けたのだ、と気づくよりも先に、百花は思わず、よく見たアニメの主人公のセリフを思ってしまった。

――飛べねェブタは…………、なんだっけ。

「カッターおろせ!」

起きあがった灰谷の手が、ジャリと厭な音を立てる。
ガラスが彼の手の下に散らばっているのに、彼はまるでそんなことおかまいなしに立ち上がり、慎重に百花と、そして並んだ女子生徒へと近づいてきた。
「な、なんなのよォ!」
完全に興奮状態に陥ったクラスメイトは何度もしゃくり上げて、握りしめたカッターをただ振り回す。
「灰谷、くん」
百花は、彼がいまここにいることが信じられなかった。
自分はあの日、彼を傷つけてしまったのではなかっただろうか。
「なんで、ここに……」
「オマエの"なんで"は、後!」
低い声で一喝されて、百花は初めてびくりと肩を揺らした。
そうして、クラスメイトへと伸ばされた彼の手がガラスに傷ついて、ぷつぷつと、所々赤く血を流していることに気づく。
――見た瞬間に、血液が沸騰した。
「大丈夫だから、それ、よこせって!」
「イヤッ、イヤ……ッ!」
子供のように泣きじゃくりながら、尚も彼女は腕を振り回した。
視界が熱い。百花は自分の目の前が赤くなって、何も考えられなくなってしまうのではないか、と、思った。
「……いいかげんにしなさいよ!」
灰谷よりずっと早く、振り回される刃物に臆することもなく、百花はツカツカとクラスメイトの前へと歩み寄ると、その頬を思い切り、叩いた。
叩いた弾みで床に投げ出されたカッターナイフを拾い上げると、丁寧に刃をしまおうとして、ふと止めた。
「ホント、神様って不公平、よね」
刃が出たままのカッターを、ゆっくりと自分の顔の前へと持ってゆく。
百花に叩かれた頬を押さえたクラスメイトと、灰谷とが同じ表情をさせて瞠目した。
「ねえ仁科さん、それならこれで、モモの顔ズタズタにしたら、満足?」
カッターの刃を、そっと頬にあてる。ひんやりとした鋼の質感が、冷たかった。
ひきつった仁科をゆっくりと睥睨して、そうして灰谷を向く。
「灰谷くん、もしモモがこういう顔でなかったら、モモを好きになった?それとも好きじゃなかった?」
灰谷もまた呆然として、何かを言おうと口を動かした。
百花はそれを片眉をあげて一瞥すると、肩をすくめる。
「……バッカみたい」
頬にあてていたカッターを下ろすと、一度肩をすくめた百花は、にっこりと二人を向いてみせる。
「しょうがないじゃない、モモ、かわいく生まれちゃったんだもの」
ふふ、と、花が開くような笑みを浮かべて、悪びれもせずに百花は言った。
その表情がどこかいつもの百花の笑みとは違ったことに、灰谷だけが気づいた。
「仁科さん。あなたの言ってること、モモ、いっぱい間違ってるわって思ったんだけど、ひとつだけ」
百花の瞳がすう、と細められ、仁科を捉える。
まだ細かく肩を震わせている仁科は、その視線に改めて、身体を震わせた。
「モモはね、"ちょっと"じゃないの。"すごく"。……間違えないで」
婉然と、という言葉がふさわしい表情をして、彼女を睥睨した百花を、灰谷はいっそう唖然とした心地で見た。
――そうして、ああ、きれいだな、と、素直に思う。
百花は、一言も言わないのだ。努力だとか、言い訳だとか。
それはきっと彼女なりの流儀で、プライドで、平然とこんな言葉を言ってのける。
もう本当に、敵わない。
「はい」
百花は、カッターをくるりと返して、苦笑いを噛み殺している灰谷へとそれを手渡した。
丁度そのタイミングでバタバタと足音が近づいて、そして青い顔をさせた十巴と、もう一人の風紀委員が駆け込んでくる。
「百花……!」
何が起こっているかという現状も把握しないままに、十巴は百花へと駆け寄ると、その体を抱きしめた。
「バッカおまえ、日頃の行いが悪いからこういうことになるんだよ!どんだけこっちが心配してるかわかってんのか!」
「トモエちゃん……」
捲し立てた怒鳴り口調とは裏腹に、妹の身体を抱きしめ続ける十巴のそれは、百花にとってみればあまりに大袈裟な姉妹の抱擁ではあったが、大人しく抱きしめられていることにした。
端的に言えば、嬉しかったのである。
「……立てるわね?」
床に座り込んで自失したままの女生徒を、風紀委員の上級生が淡々と、腕を抱えて立ち上がらせた。
――まるでバックにエンディングテーマでも流れ出しそうだ、なんて、傍観者のように灰谷は思う。
ようやく十巴の愛から解放されたらしい百花が、いつもの百花の表情をして、しずしずと灰谷の前へと来た。
「……ありがとう」
困ったようにはにかんだように、百花は灰谷を見上げ、笑わずに言った。
灰谷もまた少しバツが悪そうに、ああ、と答えた。
そう答えながら、灰谷の鼓動はまだドッドッと、早く鳴ったまま収まらない。
――オマエがあの子に危害を加えるんじゃないかと思って止めたんだ、とは言わないでおいた。
そう思って、灰谷は思わずにやっと笑う。
「ただのデブだと思うなよ」
「あ、それ」
百花が何かにひらめいたような顔をして呟いた言葉に、灰谷は少し、首を傾げた。
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