呉ノ朱

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「お手数をおかけしました」
「まったくだ」
分析結果データのプリントを手渡しながら、けれど槇は言葉とは裏腹な穏やかな笑みで十巴を見た。
「生物は専門外だからな、どこまで精密な分析が出たかはわからないが」
「本来なら学園内で対処すべきところですが……すみません」
深々と頭を下げた十巴に、ビーカーで湧かしたらしいコーヒーを差しだして、槇は向かいへと腰掛けた。
「そうもいかない事情がある、ということだろう?」
「察していただいて助かります」
苦笑ぎみに微笑んで、十巴はやはり、槇を頼ったことに間違いはなかった、と安堵した。
鷺ノ宮からほど近い、系列大学の構内、現在は講師として勤務している槇は、元々は鷺ノ宮学園の教員、十巴の昔の担任教師でもあった。
「遠巻きながら、心配していた。頼ってくれて嬉しいさ。気にするな」
そう言って、槇は十巴を気遣うように微笑んだ。
いつも冷静で厳しかった彼は、"死神博士"をはじめとする数々のあだ名を持つ生徒に怖れられる教師ではあったが――十巴は、それでも決して生徒を侮ることはしなかった彼を尊敬していた。
しかし彼はこんなふうに笑う人だったろうか、と、十巴は思う。
学園内の教師としての任を解かれての柔らかさか、それとも。
「これって……」
しかし今はそんなことを考えていられる場合でもないのだ。
手元のレポートに記載された文章に目を走らせていた十巴の表情が、強ばる。
「メチレンダイオキシンアンフェタミン。アンフェタミン分子を化学的に変化させたもので……まあ一種の麻薬だ」
「麻薬……!」
十巴は小さく叫んだ。槇に頼んでいたのは、学園内で死体が見つかった鴉の死因、胃の内容物の化学分析だった。
槇もまた、シルバーフレームの眼鏡の奥の薄い瞳をいっそう細くさせる。
「MDAとかエクスタシーとか呼ばれる類のものなんだが……」
「……作れるものなんですか?」
麻薬、と聞くとどうしてもマフィアだとか密輸だとか、そういった単語がまず浮かんでしまう十巴は、聞き慣れない名前に眉を顰めた。
「勿論違法だが、作れる。氷酢酸、臭化水素酸、サフロール、ジエチルエーテル……まあ普通 は、そんな七面倒臭いことをせず完成品を購入するんだろうが」
「専門家でなくても?」
槇は片眉を上げた。
「このご時世だ。ビーカーや用具は誰でも買える。作り方はインターネットやアングラを取り扱った本で知ることができる。多少の狡賢さがあれば、偽名刺もそれらしい使用理由も簡単に用意できる。あとはコツさえつかめれば極論――小学生でも」
槇の言わんとすることがわかるだけに、十巴は言葉をつぐんだ。
――つまり、学園内の誰かがこれを作った可能性がある、ということ。
そして、それをどういうわけだか鴉が摂取し……中毒で死んだ。
「どういう、効果なんですか?」
「陶酔感、恍惚感、あとは性的快楽増進と……つまり媚薬効果 か。視覚幻覚はなく副作用は翌日の脱力倦怠感――-俺も使ったことがあるわけではないから文献の知識でしかないけどな」
すらすらと言った後、槇は一度息を吐き出した。
「問題は、これが注射だとか吸引だとかではなく、経口摂取するということ」
槇の言葉が頭の中を高速で駆けめぐっていく。
鴉の遺体が発見された場所にばかりこだわって、調査していた自分を叱りつける。
学園内で日々早朝、鴉が集中するのはゴミ集積所。学食裏だ。
「……食べ物の中に混ぜられていた?」
「正解」
頷いた槇に、十巴はいっそう、眉根の皺を深くさせた。





「ネクタイが三色揃った三人の生徒、ねえ」
昼休みの生徒会室には、めずらしく会長の黒崎行幸しかいなかった。
委員長は、と訪ねると、「ちょっと大学見学、かな?」などとふざけた口調が返ってきただけ。
灰谷はどうにもこの飄々とした生徒会長がよくわからなかった。
藤篠十巴と恋人同士であるらしい、という公然の秘密。そういう灰谷にとって悪感情な部分を差し引いても、いつも何を考えているかつかみ所のない彼は、あまり好きな種類の人間ではない。
「いや、しかし灰谷くん、お手柄お手柄」
行幸はそんな灰谷の心中はまるで知らずに、にこにこと人の好い笑顔を向けた。
……どうせ褒められるならば、藤篠先輩がよかった。
内心そう思いながらも、風紀委員会に入って初めての手柄らしい手柄に、灰谷は瞳を輝かせる。
ネクタイが三色揃っている――これは、相当に大きな手がかりになるはずだ。
この藤篠学園は、中高一貫の6学年制。便宜上、高等部、中等部という呼び分けはしているものの、実際は灰谷は4年生だ。
そしてその膨大な生徒数を区別するために設けられたシステムのひとつが、制服だった。
中等部にあたる1、2、3学年はセーラー服と学ラン。高等部にあたる4、5、6学年は男女共にブレザー。
さらに学年色があり、1年は緑。2年は赤。3年は青。
それらがタイやリボン、果ては上履き、はちまき、体操着といったあらゆるものに用いられ、一目で区分がつくようになっているのだ。
「でも、あんな時間に3つの学年の生徒が集まるなんて」
百花は首を傾げた。その通りだった。同じ学年色ならば、クラスメイト同士がサボりでもしたのだろうと想像に難くない。
だが、3学年を隔ててとなると、話は異なる。
「委員会……」
ふと窓の外に目をやった灰谷が呟いた。
眼下には校庭が広がり、そしてそこに腕章をつけた生徒が目に入ったからだ。
昼休みを利用して、尚も調査を続ける風紀委員の諸先輩方。
警察よろしくチーム編成を組んだ 彼らは、学年の垣根を越え、まとまって行動していた。
「委員会、もしくは部活……!」
ハッとした顔で行幸を振り返った灰谷に、行幸は一度、に、と微笑んでみせた。
それは瞬間的なもので、彼は驚いた顔を取り繕うようにして作ったが……その一瞬の反応で、この生徒会長は既にもう、その答えを見つけだしていたのだと悟る。
「そうか、そうだ。部活だな、部活」
行幸はうんうん、と頷きながら、灰谷のひらめきを褒め称えるように微笑んだ。
……なるほど、と。ただそれだけのことで、灰谷は行幸がどうしていま、生徒会長の椅子に座っていられるのかもまた、悟ることができたように思った。
「ヤバイ、ヤバイって行幸!!」
ドスドスと慌ただしい地響きにも似た足音が急激に近づいてきたかと思えば、気づいたときにはもう扉が大きく開かれていた。
「……廊下は走らないように。風紀委員長」
冷静な行幸に反し、唖然とした顔で十巴を見つめた灰谷をちらりと確認して、十巴はまるで絵に描いたような、バツの悪い表情をさせ、顔を作る。
一度咳払いをして、顔を作ろうと……顔を、顔を……作ることができずに再びそれは崩れた。
「それどころじゃねー!いまマキちゃんのとこ行ってきたらさ、とんでもない……」
「聞かれていい話なんだな?」
行幸はちらりと灰谷たちを視線だけで示して、再び十巴を見た。
十巴は言葉を止められたことに地団駄を踏むように、その場で足をばたばたと踏みしめて、バン、と会長机に持っていたプリント用紙を置く。
「いーよ、当事者その1その2なんだから。でなっ、これが分析結果でさ……ちょっと見ろよコレ、ヤバイって」
いつの間に自分まで当事者になったのだろう。……その2?
十巴の迫力に負けて未だ呆然としたままの灰谷は、しかし、行幸がプリントへと向けた視線をすう、と厳しいものに変えたのを見て、姿勢を正した。
「……まずいな」
「だろ?」
険しい表情をさせ、それでも冷静を崩さない行幸に反して、十巴はいまにも駆け出しそうな程に、じたばたと身動きするのを止められない。
「犯人、わかっちゃったんだよ、あたし」
まるで夏休みの少年のような瞳で、十巴はきっぱりとそう言った。
その一言で、その場にいた全員の視線が彼女へと集まる。
緊迫した空気が生徒会長室を包み、十巴は満足げに一度息を吸い込んでそして、
「学食のオバちゃん!」
張った胸で、笑顔でそう言った。
しかしあまりに誇らしげな十巴に向けられたのは、賛同の声ではなく、行幸の深くて長い溜息だけ。
「なっ!だってさ、カラスのエサになりそうな生ゴミが出るのって学食くらいだろ?ってことはあそこの食べ残しかなんかに毒物があって、そんでそれを作ってんのは……」
「でもねトモエちゃん。モモはいつもママのお弁当だからー…、学食なんて使わないのよ?」
彼女は、自信タップリに言い放った自分の推理が外れたことが理解できないらしく、おろおろと説明を始めたのだが、それもすぐに実の妹によって否定されてしまった。
十巴は忘れているかもしれないが、現在最もターゲットとして狙われている可能性が高いのは、百花なのだ。
灰谷は行幸が受け取ったプリント用紙に何が書かれていたかは知らなかったが、十巴が何らかの機関に分析を依頼、それを得てきたこと。カラスが毒物を摂取後死亡したことは、知ることができた。
「あのな、なんで学食にわざわざこんなモノ入れる必要があるんだ?純然たるパートタイマーの奥様方が」
「アレだ、多分、男子生徒の誰かと道ならぬ恋に落ちて、で別れ話がこじれて……とか」
狙われているのは百花かもしれない、という現状すら忘れて、未だ諦めない十巴に、行幸はがっくりと肩を落とした。
もはや、ひとつひとつの矛盾点を細かく論破していく気にもなれない。
「委員長、実は……」
うなだれたままの行幸を憐れんだのは灰谷だった。
さっき行幸に説明した一部始終を、再び順を追って、そしてわかりやすく説明してみせる。
驚いたのは、隣に並んで二度同じ話を聞いていたはずの百花までもが、なるほど、と、感嘆の視線を自分に向けたことだった。
……この姉妹は。
「でかした!じゃあそいつらが犯人だ」
「…………」
さすがにもう、灰谷にもひとつひとつ説明するだけの気力は起こらずに、ただ、視線がかちあった行幸と一度頷き、深くため息を吐き出したのだった。
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