呉ノ朱

小説一覧 作品紹介 よくあるご質問 他サイトへのリンク 御感想はこちらへ 文字サイズ 大 中 小



 
  一.  

この小説に関連するシリーズ
人物紹介・作品解説へ
奇妙な事件だ。カラスが死ぬのだ。
先週は体育館裏で一羽、昨日は裏庭で二羽死んだ。

「解剖と検査で、毒物が検出された。成分は分析中だが……」
生徒会議室で書類を読み上げる十巴の声はよく響く。
カラスが死ぬなど、些細なことに過ぎないかもしれなかったが、もしもこれが猟奇事件の発端だとすれば、鷺ノ宮の警察ともいえる風紀委員会、その長である藤篠十巴としては見過ごすわけにはいかなかった。
「つまりは悪戯か、何らかの故意によって殺された、と見てほぼ間違いないと思う」
灰谷謙二は、一瞬十巴の眉が険しく歪められたのを、見た。
四月に高等部に上がり、風紀委員になってから初めてのこの事件の概要を、おそらく灰谷は、この会議室内の誰より真剣に聞いていた。
「失礼しまーす」
ノックと共に引き戸が開き、現れた姿に、隣の席の男子が息をのんだのがわかった。
「はい、トモエちゃん。調査結果」
「バカ、学校内では先輩って呼べって言っただろ」
彼女は叱られたことに少し首を竦めてみせて、そうして微笑む。ゆるやかに巻いた肩下の髪がゆれた。
どちらかといえば汗くさい類の風紀委員室に漂い始める、ほのかな花の香り。
その香りの主は保健委員会副委員長、そして十巴の妹、藤篠百花に他ならなかった。
会議室内の男子の視線は、一瞬にして百花の微笑みに釘付けだ。
「ええと……この数日間で、カラスを含めて動物に接触した人間は5人います。畜産同好会と、バードウォッチング研究会がそれぞれ2名ー…、あとは用務員さんがゴミ集積所に群がったカラスを追い払うために、ですって」
手元のレポート用紙をめくりながら話す百花の声は鈴のようで、淡い色の唇は淀みなく言葉を滑らせた。
「それぞれ検査を受けていただきましたが、特に異常はありませんでした。……以上です、藤篠センパイ」
最後の一言をとびきり甘く言って、百花はじいっと視線をある一点に留めた。
――まただ。
また藤篠百花がこちらを見ている。
灰谷は頭を抱えたくなった。
「ご苦労さま。これからも何かと協力してもらう予定だから、頼む」
「はあい」
ふふ、ともう一度笑ってみせて、膝より少し上のスカートを翻す。
会議室を出ていく直前、百花はひらひらと室内に、いや灰谷だけに、手を振ってみせた。
灰谷はうんざりとした顔をさせたが、周囲の男子生徒はざわざわと、自分だ、いや自分にだ、と騒ぎ始める。
「静かにしろー!」
怒鳴りながら十巴は、百花が関わるといつもこれだ、と、灰谷とまるで同じ、うんざりした顔をしてみせたのだった。




「あ」
「…………」
昇降口に向かった灰谷に、先に気づいて声をあげたのは百花だった。
灰谷はそれに答えず、彼女と並んだ自分の靴箱の扉に、手をかける。
アイウエオ順の靴箱の並びで、"は"いたにと、"ふ"じしのは、至極近くに並んでいた。
「いま委員会終わったんでしょう?一緒に帰らない?」
「帰らない」
即答だった。
百花を見ることもせず、灰谷は自分の靴を取り出して、彼にしては少々乱暴に、昇降口の床にローファーを叩きつけるようにして置いた。
丁度通りかかったらしい生徒が、信じられない、といった顔をしてみせて、灰谷を振り返ったことは顔を上げずともわかっていた。
信じがたい理由はふたつ。
ひとつは、百花の誘いを断ったこと。
もうひとつは、よりによって灰谷が百花に誘われたということ。
「カラスが死ぬなんて、怖いね」
しかし百花は灰谷の態度など少しも気にかけた様子もなく、柔らかい笑顔で尚も話しかけることをやめない。
下校時間を過ぎた昇降口に、ほとんど人がいなくてよかった、と彼は内心思っていた。
「なんで死んだのかな。病気とかだったら大変ね」
靴を履いて歩き出し始めた灰谷の隣に、百花が並んで歩き始める。
灰谷は苛立つ気持ちを抑えられなかった。自分は確かに断ったはずだ。
これでは"一緒に帰っている"のと変わらないではないか。
「それともー、誰かが悪戯で――」
「おい」
のんびりした百花の口調を途中で遮った自分の声が、思った以上に低いものだったことに、灰谷自身が少し、戸惑った。
「やめろよな、オレにかまうの」
「どうして?」
振り返った百花は小首を傾げて、黒目がちな大きな瞳をいっそう大きく、 灰谷を真っ直ぐに見る。
それが余計に灰谷を苛々とさせた。
「なんでって……、目立つんだよ、オマエといると」
「いまは、誰も……いないよ?」
百花がきょろきょろとあたりを見回してみせて、いっそう不思議だという顔をさせた。
彼女はまさか、自分がいつどこにいても、どうしたって衆目を集めてやまないということを、自覚していないのだろうか。
――そんなはずがあるか。そう、灰谷は毒づく。
「どういう魂胆?」
おそらく、百花に対してこんな言葉を突きつけるのは学園でも灰谷くらいなものだ。
分厚い眼鏡の奥で灰谷の瞳がすうっと細められたのを、百花は嬉しそうに、見た。
そうして、百花もまた、他の誰にも見せたことのないような少し異質な笑みで、頬を、口元を、にい、と歪める。
「……モモね、セックスしたいの。灰谷くんと」
「はあ!?」
響くほどの大声が喉から飛び出した。
耳元でそっと、囁くようにそう言って、くるりと灰谷の前へと行った百花が、その声に驚いて目を見開く。
驚いているのは自分の方だ。いま、彼女はなんと言っただろう。そのかわいらしい唇からはおおよそ想像もつかないような言葉だった。
だが灰谷は、懸命に自分の動揺を表面に出さないように努めた。
「――オマエ、じゃあオレの子供産むんだな?」
一度咳払いをしてから、見据えるようにして百花を向く。
汗で眼鏡が滑る。それを指で一度、直した。
「セックスってのは、生殖行為なんだぜ。神様だかお釈迦さまだか伊邪那岐・伊邪那美だかサルだか、人間を作ったヤツが種を延々と続かせるためにワザと快感に直結させてインプットしてあるんだよ。知ってるだろ。だからってオマエみたいに興味だとか性欲だとかにバカ正直に従ってやっちまってうっかりポコポコ子供作るようなバカな真似、オレは御免こうむる」
「ポコポコ……」
百花が二の句を告げないほどの早口の一息でそう言って、灰谷は歩みを早めた。
しばらく突き進むように歩いて、百花がついてこないことに気づく。
振り返るつもりはないのに、振り返ってしまった。
「灰谷くん、したことあるの?誰かと。セックス」
「オマエ、いまの話聞いてなかったのかよ!」
的はずれな百花の問いかけに、灰谷は心底呆れるような心地になった。
普段から、彼女が決して知的ではないことは知っていたつもりだったが。
「それにな。例えばテレビや雑誌で、食べたことのない非常に美味しそうな果物が紹介されてたとする。形やレポーターの反応から、それがすごくおいしそうだってことは理解できる。興味をそそられる。食べてみたいなとは思う」
立て続けに説明しながら、灰谷は百花を見なかった。
勿論、これは例え話だ。しかし例えだと彼女が理解できるだろうか、と思いながら弁論は止まらない。
「けど、食べる前は食べてみたいな、で終わっていられる。好奇心と興味だけで済む。試しに一回食べてみる。物凄く美味しいことがわかる。そしたら今度は多分、それがまた食べたくてたまらなくなる。……そういうもんだろ。だからオレはセックスなんてしないの。以上」
「……灰谷くんて」
解説を終えて、少し息を乱している灰谷の顔を、百花は呆けたように見ていた。
「いつもそんなむつかしいこと考えてるのね」
のんびりと言われたその一言に、灰谷は脳の血管がプツリと切れた音を聞いた。
一度がっくりと肩を落としてから、心底軽蔑した瞳で百花を振り返ろうとした時だった。
「とにかく……」
突然に腕が引かれてコンクリートの壁に押しつけられた。
そうしてふにゃりとしたものが唇にふれる。
百花の唇だ、と気づいた時にはもう、柔らかな感触の舌が下唇をねぶっていた。
「……っ!う……」
こんなに柔らかいものだったか人の唇は、と感激する間もなく、頭がぐらぐらして何も考えられなくなる。
「……っふ、しちゃったあ」
唇を離して目の前の百花が微笑う。
教室では見せたことのないようないやらしい顔。
ぞくぞくと背中を駆け上がる戦慄があって、瞬間的に膨張した股間はもう、ズキズキと痛んでたまらない。
――ほら、だから言ったんだ。
彼女の唇が、物凄く甘いことなんか、とうに知っていた。
次頁へ
  このページのトップへ
小説一覧へ
   
     
サイトマップ サイト概要 お問い合わせ  
Copyright(c)2004 - Kurenoaka. All Rights Reserved.