呉ノ朱

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「だから、その納期じゃ無理だって言ってるじゃないですか!」
「無理だ無理だしか言えないような、無能な部署ではないだろう!」
響き渡る怒声の応酬に、フロアの半分の人間はまたいつものことか、と肩をすくめるか無視をし、半分の人間は期待のまなざしで見ているのがわかる。
でも全員、私とこのケンカの相手が、あんなことをした仲、だなんて、想像もできないんだろうな。しかもまさか、あんな形、で。

あのめくるめく一夜から数日、油井も私も別に、何も変わっていない。
彼はまだ当分、もしかしたら一生、自分の性癖や別れた奥さんについて後ろ暗く思い続けて生きていくのかもしれないし、私にとってみればそんなことは知ったこっちゃない。
それは油井が、一人でどうにかするしかないことだからだ。
だからアフターフォローする気もないし、つきあってくれ、なんてことを言われたわけでもない。
――――-なかったことになってるわけでもない、っていうところが、ポイントだろうか。
多分また、あの店で油井ではなく……ユイと会ったなら、私はホテルに連れ込むんだろうし、ユイも拒まない、ような気がしている。
それはユイに限ったことではなくて、ただ単に私が、古蝶の言うとおり”男でも女でもオカマでもなんでもアリな外道”で、”ゲテもの喰い”ゆえのことなんだろう。
いいのだ。それで私の人生は、ものすごく、幸せなんだから。
もうブランドのバッグが余裕で買えるくらいの額を人様の結婚式のご祝儀につぎこんでいようと、もしかするとそれを回収するチャンスが一生こないかもしれなくても、あと一週間で三十路だの負け犬だのと世間様に後ろ指さされるケモノ道に入ろうとも、私は、満ち足りている。
――--ところでこの間、後ろ指さされるのは、おニャン子ク○ブくらいにしてほしいよ、なんて山下に言ったら全然通じなくて、「おニャ○子クラブって何ですか」なんて、言われてしまった。
私は、昔のモーニ○グ娘みたいなもんだよ、って笑った。
"後ろ指さされ組"ってのがあったの。へえ、そうなんですか。スゴイなあ水野さんって――---。
スゴイのは私じゃなくて、秋○康だと思うんだけど、山下にかかれば、そんな後ろ指さされまくりな私でも、いつだって"スゴイ"なんだなあと、ちょっと感動、したのである。
だから、私は後ろ指さされるより"後ろ"に指さすほうが、好きなんだよね。さされるのもまあ、悪くないんだけど、とは言わないでおいた。

――――ほらね。人の幸せなんて、相対的なもんじゃなくて、絶対的なもんなんだぜ、ユイちゃん。



「は――――、つっかれた……」
「スゴイっスよ!あの油井課長やりこめるなんて!オレ、感動ですよ!」
まるでジョーのように燃え尽きて、ぐったりとデスクに崩れた私の隣で、山下が拳を熱く握る。
――-かわいいなあ、コイツ。ますますどんどんかわいくなるなあ。
山下のお父さんお母さん、ジャ○ーズに入れず、ゲーム好きに育ててくれて、本当にありがとう!
そう密かに感謝しながらくすりと微笑んだ視界のすみ、倉沢部長のブースの壁に貼られた、一枚のポスターが目に飛び込んできた。
ウチの開発したゲームじゃなくて、他社の、未だに根強く人気のあるゲームの、古い宣伝用ポスター。ゲーセンでよく見かけたっけ。やりこんだなあ、このキャラクター。
ライバルだろうと他社だろうといいものはいい、が信条のボスらしく、でかでかと貼られたそれをぼんやり眺めて、ふと、思い出したことがあった。

昨日行ったマダムバタフライで聞かされた、あの、意識をなくした日の真相だ。


「実験したあ!?」
すっとんきょうな声って、多分こんな声なんだろうなと思える声をあげて、私は古蝶の苦笑いを見た。
「だからゴメンってば。アンタだったら頑丈そうだから、多分大丈夫って思ったのよ」
全然悪びれもせず古蝶は言って、私に粉の入ったパッケージを差し出す。
「シジミがさ、大学でこっそり作ってきたのよ。安全性は保障するから人体実験してみたいって」
私は狭く薄暗い店内で、シジミの姿を探した。
バタフライ、との名前の通り、この店の女の子たちには皆、蝶にちなんだ名前がつけられていて。
目が合った、長い黒髪と華奢な身体、どこからどう見ても私よりよっぽど大和撫子なシジミが、にっこり微笑ってそっと手をふる。
ヤマトシジミ、という蝶の名を受けた彼女は大学生。学部は……薬学部、である。
「で、飲んだ私はどうなったのさ。つぶれただけ?」
古蝶をじろりと睨めば、わざとらしく目をそらされてしまった。
答えを探してカウンターの蛍を見やれば、蛍もまた、あまりに微妙な苦々しい笑顔を浮かべていて。
「…………いい、聞かないほうが幸せでいられそうだから」
「うん。それがいいと思う」
古蝶と蛍が同時に、頷いた。


で、そのパッケージはいま、ちゃんと私のポーチの中に入っている。
どう考えても合法的な匂いがしないので、わざわざちゃんと、病院で処方されたカゼ薬の紙袋の中にまぎれこませて、だ。
「そういや今日、給料日だね」
ボスから渡されたばかりの長方形の給与明細が机に放り出したままなのを見て、そのことを思い出す。
たまには振込みじゃなくて、札束で頬をひっぱたいてこようかしら。パパじゃなくて、古蝶の。
お客様とお呼び、なんてな。
「そうっスよ!……まあ、家賃払ってゲーム買うくらいしか使い道ないんですけど」
白い歯を見せて苦笑いをした山下を見て、私もそんなに白くはない歯を見せて、笑った。
「飲みにでも行くかい?」
「ええっ、マジっスか!?朝まででもつきあいますよ!」
新人の頃ならともかく、最近はほとんどなかったその誘いに山下は嬉しそうに笑って、私も嬉しくて、笑う。
周囲から見たら、上司と部下の、なんてほほえましい光景だろう。
フツーの恋愛小説だったなら、ここから甘いロマンスが生まれたりなんかしちゃったりするわけなんだろうに。
――---ごめんね、山下。 もちろん朝まで、つきあってもらっちゃうよ。
山下が言ったのとは、おそらく全然違う意味で、私はにやりと笑った。
その視界の隅に、またさっきのポスターが映る。
見慣れたはずのそのポスターが妙に今日は目に入る、その理由はわかっていた。
誰から見てもうかれて見えるだろう山下の横顔をちらりと見て、私は、人気男性キャラクターの立ち姿が描かれただけのシンプルなそのポスターに、縦書きで大きく印刷されている、有名なキャッチコピーを唇の中だけでこっそりと、呟いた。

お楽しみは、これからだ。



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