呉ノ朱

小説一覧 作品紹介 よくあるご質問 他サイトへのリンク 御感想はこちらへ 文字サイズ 大 中 小



 
  二.  

この小説に関連するシリーズ
人物紹介・作品解説へ
     
「めずらしいね、ツッキーが一緒にお昼、食べようだなんて」
本屋に並ぶ女性誌の表紙と同じ髪型をさせた、同期の佳奈子が、きれいにアートされた長い爪で、"A定食"のボタンを押した。
こんな爪でも、彼女は非常に器用にブラインドタッチするのだから、本当に驚いてしまう。
「だから、ツッキーって呼ぶな。……いや、ちょっと気になることがあってさ」
佳奈子とは、入社時の社員研修以来、もう8年ものつきあいになっていた。
プログラマーとして入社した私と、広報部のアイドルとして当時から可愛かった佳奈子と。
お互い、皺の数は増えたけれど、着実にキャリアアップして、ありがたいことに、いまでも社内で最も、仲の良い友人、だ。
たまたま社員研修の夜、割り振られた同じ部屋に泊まっただけだったというのに。
おかげさまで、水野月子、という、10年前に流行った少女アニメのキャラクターのような名前を、佳奈子は未だにツッキー、と、愛称で呼んでくれやがる。
――――-佳奈子、あんたは時が止まってるのかもしれないけど、私らもう、三十路、なんですよ。
同じくA定食の札を社員食堂のおばさまに渡しながら、ちらりと同じチームの人間がいないか、食堂内を見渡す。
大手ゲーム会社らしく、整えられた社員食堂というよりむしろカフェテリアに、そもそもスナック菓子とカップラーメンで生き延びているウチのチームの連中がいるわけはなかったのだけれど、念のため。
「……油井サン?あー、カッコイイよねえー」
語尾にハートマークでも舞いそうな甘ったるい声で、佳奈子はトンカツにドボトボとソースをかけていた。
「そうじゃなくて。いまウチのボスとやりあってるらしいから、情報仕入れときたいなー、なんて」
苦しい言い訳、ではないだろうか。私はあまり、嘘が得意ではないんだ。
「情報、ねえ。なんてったって、この間まで"本宅"にいた人でしょお?騒いでるコは結構いるんだけど、あんまり入ってこないんだよね。……あ、ちょっと待ってて」
そう言って、ポーチから取り出したデコラティブなケータイを、瞬時にカチカチと打ち始める。
いまや花形商売にのし上がったこの業界の例に漏れず、ウチも二つの自社ビルを持つ立派な一部上場企業。
その二つのビルのうち、"本宅"と呼ばれる都心のど真ん中に位置する本社と、"別宅"と呼ばれるこの、都心からほんの少し離れたゲーム開発専門の、支社。
支社と本社とはいえ、私たちのような技術者は、ほぼ全員、この支社に集められていて、本社はといえば、事務的な仕事であったり、企画やら営業やら、どちらかといえばそういう人たちがいる場所だから、関わりも、その優劣の差も、私にはまるきり関係なかった。
企画自体にも関わっている私なので、時々あっちに行くこともあるんだけど、"ニオイ"の違いに驚かされる。雰囲気、という意味じゃなくて、本当の意味での”臭い”、なんだけどね。
で、そのフローラルな本宅から、この…………な別宅に来ちゃったってことは、つまり。
「島流し、ってことみたいよ」
トンカツを片手に持った状態のまま、ケータイの画面を見た佳奈子が、呟くように言った。
あっちにあるのは、営業一課と二課。そしてこっちには三課がある。
油井が飛ばされてきた"営業三課"は実のところ、現場と本社のパイプライン的な、いっちばん精神的にキツイ部署。
だからつまり、島流し、ってわけだ。
まあ実際、この別宅、埋め立てて出来た"アイランド"と呼ばれる場所にあるわけなんだけど。
「へえ。なんかやらかしちゃったのかねえ?」
「そこまでは、わかんないみたい。また調べてくれるってさ」
パタン、とケータイを閉じて、佳奈子はトンカツをくわえた。
広報部という立場だからだろうか、それとも、数千人いる社員と日々社内合コンを繰り返してきた彼女だからだろうか。
何か情報を欲したときに、頼りになるのはこの佳奈子だった。
「なんか、冷めてない?」
「わらひのはまだ、あったかひよ?」
もっしゃもっしゃと音が聞こえてきそうに頬をふくらませた佳奈子が、不思議な顔をする。
同期でも真っ先に寿退社しそうに見えたコイツが、未だに嫁き遅れている理由のひとつは、確実にこの意地汚さのせいだと思う。
「いやいや、油井サンにさ。こないだはキャーとかってはしゃいでたじゃん」
「んー、なんかどうもね……アヤシイ、ってゆうか」
アヤシイって?と言って、私は味噌汁を啜った。
一足先に自分のパートのプログラムを終えた、仕事のない今日は、ご飯がこんなにも美味しい。ゴメンネ、みんな。
「左手にさ、アトがあるわけ、指輪の。多分離婚が原因かなんかで、こっち飛ばされたと思うのね、まず」
「め、目ざといなあ〜……」

瞬間で、佳奈子の目がハンターのそれになる。
この友人にかかれば、私が昨夜、その油井課長と一晩をともに過ごしたことだって、すぐにでも暴かれてしまいそうだ。
「でもね、女慣れしてないわけ。どっちかってゆうと、避けてるのよ、女を」
「……もうアタック、したわけね……」

佳奈子のことだ、おそらく油井がこの"別宅"に移ってすぐにでも、なんらかのアクションを起こしたに違いなかった。
「浮気して懲りた、って感じの避け方じゃなくてさ。なんかこう……とにかくヤバい予感がしたのよ!わかるでしょう?」
「わかんねーよ!」

佳奈子の必死さに、思わず吹き出した。
それでも内心、ひとつだけ、思い至ったことがある。
――――佳奈子にも教えていない、私の秘密の憩いの場所。
大きな仕事が片付いた後は必ずと言っていいほど足繁く通うその店で、私は多分昨夜、油井と会っているのだ。――--覚えてないけど。
そして、その店は、ちょっとばかし、特殊な店なのだ。
「ありゃ、DVか何かだね、多分。めんどくさそうだし、関わりたくないの」
「ふーむ……」
もしもその一件さえなかったなら、佳奈子の話はおそらく一番収まりの良い形で、すんなりと納得できるバックグラウンドに違いなかった。
…………それにしても。 ウチのボスとあんな風な絡み方をした以上、チーフの立場である私も、今後頻繁に彼と仕事で絡む機会があるわけで……何にしても一度、話はするべき、なんだろう。
少々憂鬱にそんなことを思い出していたら、目の前の佳奈子が、妙な笑顔を浮かべていた。
彼女お得意の、愛想笑い。
「? どしたの佳奈……」
「水野さん、ですね」
上から声が降ってくる。この声を聞くのは、今日何回目だっけ。
「――--例の案件について、話があるんですが。ちょっと、いいですか」
にこりともせずに、逆光になったその声の主は言った。
油井。――――案件、だなんて、やっぱり顔と頭のいい男。




「島流し、おめでとうございます」
「…………」
非常口階段で、私はタバコに火をつけてにっこりと笑ってやった。
油井はわずかにぴくりと片眉を寄せただけで、何も答えない。おお、怖。
「大丈夫ですよ。今朝のことは誰にも話すつもりもないし、こっちも話されたら困るし。なかったことにしましょう。迷惑かけてすみませんでした。介抱ありがとうございました」
早口で、彼に言いたかった言葉全てを言い終えてしまうと、ようやくすっきりと、胸につかえていたものが取れた気分になった。
おそらく油井が言いたかったことも、同じ言葉のはずだ。そう、思っていた。
だが。
「………荷物が、まぎれて、いないだろうか」
「荷物?」
油井は眉根をひそめて、ひどく苦々しそうな表情をしていた。
荷物。彼が去った後、ひととおり部屋を見渡したけれど、特に…………そこまで思っ て、たったひとつ、思い至る。
「まさか、ブッ………!!」
「!」

思わず大声をあげかけた私の口を、油井の手のひらがふさぐ。
ブラジャー。
ブラジャー。ブラジャー。ブラジャー!!!!
あれの持ち主が、この男!?まさか!
「君のものは、私が持っている。……今日は夜、時間は?」

そっと手が離れて、油井は一度、咳払いをした。
すっきりとした顎のラインに、わずかに汗がにじんでいるのが見てとれた。
「いや別にあります……あ」
自分の分の仕事は終えて、もうあとはバグチェッカーから上がってくるデバッグを待つばかり、だったので、今日も定時に上がれるはずだった。
しかし、ひとつ、思いいたる。
「例のゾンビゲーム。あれのプログラム、手伝わなきゃならないんですよねー。明日が〆なんでしょう?あんな状態のヤツら置いて私一人帰ったら、祟られるっていうか」

「それは……」
ちらりと、彼を見上げた。
これは別に、彼の弱みにつけこんでるわけじゃない。
私は彼とのことを彼に頼まれなくたって口外しないだろうし、ブラジャーだって別に、いつ返したっていい。でも。
「現場見て、わかったでしょ。営業の人には営業の正義ってもんがあるのもわかってます。別に一週間延ばしてくれってことでもないんです。でもね、律儀に数字を守ろうとしたって……」
「……………〆切の件は、考慮する」
苦虫を噛み潰したような顔で、油井が頷いた。
やったね山下、今日は銭湯くらいには、行けるかもよ?
「じゃあ、22時くらいに、あの店行きます」
「あの、店は……困る」
途端にしゅんとした表情になった油井が、すがるように私を見た。
あの店、で通じる、ということはやはり、私が油井と出会った場所に間違いはなかったってことで、彼はまだ、たったいま自分がやらかした過失に気づいていない。
「あの通りの入り口に……ソバ屋が、ある。そこで、22時」
「了解」

こんなふうに狼狽する彼を、うちの会社の人間は、誰も知らないんじゃないだろうか。
一度も私と視線を合わせることなく、彼は私が頷くが早いか、非常口からフロアへと戻っていった。

私も、そろそろ戻ってやらないと。
とっておきの朗報で、あいつらにご飯を食べさせてあげなくちゃ。
前頁へ 次頁へ
  このページのトップへ
小説一覧へ
   
     
サイトマップ サイト概要 お問い合わせ  
Copyright(c)2004 - Kurenoaka. All Rights Reserved.