呉ノ朱

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  三.  

人物紹介・作品解説へ
 
常は琴子の家の方角を見やって、一度溜息を吐きだした。
高台にある古びた神社の屋根の上からは、この小さな町が一望できる。
夜は窓の明かりが転々と光って、いまや本当の夜などなかなかない。

――実のところ、琴子に悪霊など憑いてはいない。
いや、正確には、あの放課後の事件までは憑いていなかった。
自分の力を示すため、また琴子を騙すために紙を燃やして見せた能力や、雪を降らせたのも、琴子の傷を治した力もまた本物だが、昨日琴子が行ったことは、ほんとうは単なる悪戯にすぎなかった。
あの遊びは昔から何度も何度も繰り返されてきたことで、時折気紛れな霊が応えてやることはあっても、それで取り憑いたりする類のことではない。
にも関わらず、確かに低級霊たちはざわめいた。
そのざわめきの原因を調べるために、琴子を見に行った。
琴子を見て、成る程、と常は思った。
確かに彼女は良い磁場を持っていた。霊に取り憑かれやすい、側にいること、取り込むことで霊力を高めてくれる、稀な人間。
……だから近づいた。
彼女をほしい、自分の女になれと言ったのは、彼女が乾に対して抱いているような恋心とは全く異なる種類の感情。いわば、食欲のようなものだった。
そうやって自分が近づいたことで、琴子に本当に悪霊を呼び寄せてしまったのかもしれない。
あの放課後の事件。あれだけは常自身にも説明がつかない。
いったい、何者が。
ましてや琴子があんなこっくりさんで呼び寄せられるような、低級霊のできる仕業ではなかった。
ある種、自分に対して挑発的に向かってくるかのような意志を感じさせる。
自分が琴子に近づいたことで、奴を呼び寄せたというならば、責任は取らなければならないだろう。――だが。

息を吐き出して、目を閉じる。
琴子が二度流した涙が、頭の中でちらつく。……常には、どちらの涙もよくわからなかった。
人とあまり深く接してこなかったせいかもしれなかった。
「人の気持ちもわからない、か」
一人で呟く。遠くに見えるのは、琴子の部屋の灯りだろう。それが消えた。不穏な空気は感じない。何事もなく彼女は眠りについたのだろう。
「……わからんよ」
常はくすりと笑った。自嘲のような笑みだった。





「おはよう、琴子」
「……おはよ」
満面の笑みで玄関先に立っていた常を一瞥して、琴子は小さく溜息を吐いた。
きまずかった。
昨日、助けてほしいと縋った。助ける、と、彼は言った。
だがそれは、契約だ。
「あ、のね、あの、昨日のことなんだけど」
「なんじゃ?」
隣に並んで、というより、琴子の後を必死についてくるようにして歩き始めた常を見上げるようにして見る。
幽霊やオカルトの類など、信じたことはなかった。除霊師だと言った常の存在などなおさらだ。だが昨日の放課後に琴子に起こったことは説明がつかない。
常が起こしたことではないという言葉を、琴子はなぜか信じられる気がしていた。
ならば、頼れるのは常しかいないのだ。……残念ながら。
「たすけるって、具体的にどうやってたすけてくれるの?お祓いとか?」
「まずはお前に取り憑いてるやつの本体を突き止める」
「本体?」
こくりと常が頷いて、片眉を上げた。指を一本、空で動かして字を書いていく。
「こっくりさん、というじゃろ。あれは狐狗狸さんと書く。早い話が、そのへんを漂っとる動物の低級霊を呼び寄せる遊びでな、間違っても、こっくりさんで呼べるような奴らに昨日のような人を傷つける能力はない」
「じゃあ昨日のは……?」
昇降口のガラスが割れた。琴子のふくらはぎは、常のおかげでほとんど痛まないが、傷がまだ残って包帯を巻いている。これが昨日の事件の何よりの痕跡だ。
「おまえが狙われとるのは、おまえ自身が良い磁場を持っとるからだ」
「磁場?」
怪訝な表情をさせた琴子の声に、常はうーん、と、一度考えこむようにした。
「まあ、匂いみたいなもんだ。おまえから美味そうな匂いがする、だから食べようと寄ってくる」
「ど、どうしたらそれなくなるの……?」
琴子は自分の制服の袖を鼻先へと持っていって、嗅いだ。
微かに普段つけているコロンの香りがしたが、常の言っているようなものは感じられない。
「なくす方法もあるにはあるが、とりあえずは本体を呼び出すためにそのままにしとれ」
「だ、だって、そしたらまた狙われるんでしょう!?」
琴子は思わず、常のブレザーの袖を掴んだ。常がふ、と息を吐き出して笑う。
「そのために、わしがいるんだ」
琴子が掴んだ手を、常が握りしめる。その行為があまりに自然で、琴子は思わず胸がときめいた。
「まもって……くれるんだもんね……」
「ああ」
常の顔が見られなかった。鼓動が早くなる。ここにいるのは、いま手をつないでいるのは、恋い焦がれていた乾ではないのに、昨日あれほど罵倒した鼻持ちならない胡散臭い男のはずなのに、どうしてこんなふうに胸が早鳴るのだろう。
「でも、タダじゃ、ないんでしょ……?」
恐る恐る、常を見上げた。
対価がいる、と言っていたのだ。そしてそれは、琴子が常の女になることだと。
常は瞬間、呆けたように琴子を見て、そして気づいたのだろう、にい、と口元を歪めた。
「そうじゃな」
「あんたの女になるって……具体的に、その、どうすれば」
歯切れ悪く琴子が訊いた言葉に、常は一度猫のように目を丸くした。そして薄く目を細める。
「とりあえず今は、これでいい」
握られた手に、力がこめられる。ひんやりとした体温。
琴子はその言葉に、安堵していいのか戸惑っていいのか、自分の心がよくわからなかった。



「早乙女、お客さーん」
廊下に近い席の男子生徒が、琴子を呼ぶ。呼ばれて見た先にいた人物に、琴子は心臓が止まりそうなほど驚いた。
「い、乾、くん」
「早乙女って言うのか。俺もそう、呼んでいい?」
慌てて駆け寄った先の乾は、彼らしく明るく笑う。
信じられなかった。彼が自分の名字を呼んでいる!
琴子は必死でこくこくと、何度も首を縦に振った。
「肩くらいの黒髪がキレーな子って言っただけなのにわかってもらえたからさ、すごいね。大事にしなきゃね、その髪」
「な、んで?」
目の前に乾がいるということと、そして乾に(髪の毛ではあるが)きれいと誉められたことで、琴子はもうどうして良いかわからなくなっていた。
「いや、昨日オレ、早乙女のことほっといてそのままだったでしょ。あれから怪我どうしたかなって心配でさ」
「あっ、いいの、大丈夫!ありがとう!」
顔が紅潮していくのがわかる。乾が自分を心配して、わざわざ来てくれた。探して来てくれた。そのことで、もう何も考えられない。
が、ひとつのことに気づいた。
「タッ!!」
「た?」
思い切り顔を上げると、陽に焼けた精悍な顔立ちがすぐ近くにあった。
目眩がしてしまいそうだ。
「タオル……っ!タオル、ごめん、昨日、血が……」
「ああ、いいよいいよ。気にしないで」
驚いていた顔が、笑顔に変わる。笑いかけてくれているのだ。
「今度、新しいの、買って、返すから……」
「ほんとに気にしなくていいって。それよりありがとう。早乙女がいなかったら絶対オレに刺さってた。そしたらサッカーどころじゃなくなってたからさ」
少し申し訳なさそうに眉を寄せて微笑んだ乾に、琴子は胸が締めつけられるようだった。
――--違う。あれは自分のせいなのだ。
もしかしたら自分のせいで、乾に怪我を負わせていたのかもしれなかった。そう考えると心底ぞっとする。
自己嫌悪で乾の顔が真っ直ぐ見られなかった琴子に、乾が、あ、と大きな声をあげた。
「早乙女、今週の日曜って暇?」
「ひ、暇!」
思いがけない言葉に反射的に答えて顔をあげると、乾がにっこりと笑った。予想外の笑顔に目が奪われてしまう。
「じゃあうちの部の応援に来てよ。先輩たちが女の子の応援が少ないってうるさくて……」
微笑んだところで、チャイムが鳴り響く。琴子はシンデレラの時計の音もきっとこんな音だったに違いないと思った。
「時間があったらでいいからさ。考えといて」
「う、うん、ありがとう!」
ひらひらと手を振って廊下を隣のクラスへと向かっていく乾の背中を見て、琴子はどうしようもない幸福感に包まれていた。
乾と話をしてしまった! しかも乾が自分を心配してくれたのだ!
ありがとうと。黒髪がきれいだと。そして週末、いつものようにこっそりとではない。乾に誘われて、応援に行ける。
盆と正月と誕生日とクリスマスとバレンタインがいっぺんに来たような幸福に、琴子はしばらくぼーっとその場に立ちすくんでいた。
「恋とはそんなにいいもんかのおー」
幸福感を台無しにするような声が、座った隣の席から聞こえてくる。
常がつまらなそうな顔で、机に俯せるように琴子を見ていた。
「……昨日のことは信じるけど、もし今度乾くんに何かあったら、全部あんたのせいだって思うからね」
「わかったわかった」
睨みつけてやっても、常はどこか覇気をなくしていた。
そういえば、と、琴子は思う。
常は琴子を大嫌いだと言った。後で撤回はしたが、少なくともそこから突然好きになるようなこともないはずだ。にも関わらず、自分の女になれと言った。
それは恐らく、朝、常が言っていたように、自分の磁場がいいからなのだろう。
ならば朝、手をつないだのもそれを取り込むためで、助けると約束してくれたのも、守ると言ってくれたのもすべて……恋愛感情では、ないのだろう。
そのことに思い至って、なぜか琴子は、痛むはずなどない胸なのに、チクリと痛んだ。



「琴子、ちょっと来い」
「な、なに」
放課後、常が緊張を残した顔つきで、琴子を連れて行ったのは屋上だった。
屋上に続く階段には、鍵がかかっている。
けれどそれを常は、いともたやすく手をかざすだけで……とはいかないようだった。
「万能じゃないのね……」
「いくら火剋金といえど、人が作り出した金属はわしでもどうにもならん」
ポケットから取り出したのは、鍵。どこかから盗んできたのだろうか。
かこくごん、と彼が言った謎の言葉を口の中で繰り返して、昨日の常の言葉を思い出した。
「そういえば、昨日も人間を傷つけることはできないって……」
「ああ。契約があるからの」
「契約?」
キイ、と古びたドアが開く。琴子自身、屋上に入るのは初めてだった。
一面の空が広がって、広々としたコンクリートのグラウンドが目の前にある。
「まあ簡単に言えば、わしも管理される側だ。契約をして、この力を貰っとる。その契約で悪いことはできんようになっとる」
「へえ……。悪いことしたらどうなるの?」
除霊師というのもサラリーマンのようなものなのだろうか、と、琴子は思った。
「死ぬ」
ずくりと重い一言だった。
屋上のグリーンの金網につかまった常の横顔を、琴子は見上げた。
と、その不安げな視線を感じ取ったのだろう、彼は安心させるように微笑んだ。
「というより、わしという存在が、なかったことになる。じゃから心配せんでも、乾をどうこうなんてわしにはできん。安心したか?」
「…………」
その微笑みは儚げだった。安心したか、と聞かれても、なぜか嬉しくない。
曇ったままの琴子の表情に、常が怪訝に振り向く。
「どうした?」
「なんでもない」
常の手が、琴子の頬に伸ばされる。そむけようとした顔を、無理に常の方に向けられた。
真剣な瞳は、あの冷たい青い炎の色だった。目が合って、どきりとする。
「なんで……私を助けてくれようと思ったの。それもその、会社みたいなとこから言われてきたの?それとも私の磁場が良いから?」
「……おまえがほしいと思ったからだ」
琴子は目を見開いた。頬に添えられている手が、ひんやりと冷たい。
それと同じように、心が冷えていく。
言われた言葉は確かな熱を持った、まるで愛の告白のようなものなのに、その実体は空虚だ。
「あんたって……誰かを好きになったり、したことある?」
「なんじゃ、やぶからぼうに」
常は奇妙な表情をしていた。琴子が顔を曇らせているのも、質問の意味もまるでわからない、という顔だ。
「ごめん、なんでもない。で、どうして屋上に?」
琴子の頬を常の手が離れる。瞬間、ほんとうに一瞬だけ、それを寂しいと思ってしまった。なぜだろう。別 に琴子は、常に恋心など抱いていないのに。
ああ、と常は呟いて、金網の向こうを指さした。
「見ろ。あの靄がかってるところに、低級霊が集まっとる」
「?……見えないよ……?」
目を細めてみても、琴子の視線の先にあるのはただのこれから暮れていこうとしている青空だけだ。
「ああ、そうじゃった」
しまった、というように常は呟くと、急に琴子の身体を抱き寄せた。
そしてぐい、と髪を引いて上を向かせる。
その一連の動作はあまりに素早くて、琴子は驚く暇もなかった。
「!」
唇に、突然常の唇があてられる。
驚きに見開いた目のすぐ前に、常の整った顔立ちと、長い薄茶の色の睫毛がある。
それを確認するかしないかの間に、唇が離された。
「すこし力をやった。これでどうだ?」
「どうだ、って……っ!!」
キスされた。キスなのだ。にも関わらずまるで動じない常に琴子が声を荒げた時、視界を何かが通 り過ぎた。
「なっ!」
さっきまで見ていた青空は、もうそこにはなかった。
眼下の町の風景、その屋根のところに白や灰色の靄が、まるで煙のようにいくつかかかっている。
「なに、これ!」
「見えるか。それが低級霊だ」
金網を握りしめた琴子の手に力が入った。ぞくりと寒気がする。自分がいままで見ていた世界は、なんだったのだろう。
ふよふよと、まるで水槽のクラゲのように微かではあるが、空気中を何かが漂っている。
「やっ、やだ!いやっ!!」
「落ち着け。別に悪さはしない。いるだけだ」
振り払おうと手を振り回した琴子の肩を、常が抱く。
彼は、普段からこんな景色の中を生きているのだろうか。そう思うと、不思議と気持ちが落ち着いてきた。負けたくない。
落ち着け、と自分に念じながら、彼が指さしていた方角を見る。
そこに、どす黒い煙があった。煙突から吹き出る煙のように、その下にある何かから発生しているようにも見える。
「あそこに……本体ってのがいるの……?」
「わからん」
収まった筈の寒気が、煙を見たことでまた吹き出す。怖い。しんと冷える冬の寒さのような寒気が、琴子の中から沸き上がってきた。
「本体を見つけて……そしたら、どうやって退治するの?」
「そこがわしの腕のみせどころ、じゃな」
にい、と常は笑った。挑戦的な笑顔だった。
そういえば、昨日の放課後も、こんな風に彼は笑った。
挑むように。悦ぶように。お前に私が負けると思っているのか、と、まるで絶対者のような強い笑顔だと琴子は思う。
「さて、行くぞ」
「どこに!?」
ぐい、と手を引かれて、琴子は小さく叫んだ。本当はどこに行くかなど、わかっている。
その琴子の心中を読んだように、常はただ、にっと笑うに留めた。
「ね、ねえ、これ、どうやったら見えなくなる……?」
常に腕を引かれて歩きながら、琴子は目の前にまだ浮遊しているクラゲたちを必死に振り払う。
こんなふうにずっと見え続けていたら、ましてやもっと余計なものまで見てしまったら、おちおち眠ることもできない。
「そのうち消えるじゃろ」
「そんなのやだ!」
楽しそうに微笑んだままの常に、琴子が非難の声をあげても、彼は一向に意に介さないといった風に、また、笑った。



「ちっ……」
常と琴子がその場所に着いた頃には、もうわずかに陽が傾き始めていた。
琴子の目も、もう正常に戻っている。けれどさっき見たふよふよとしたものたちが、見えないだけで今も漂っているのかと思うだけで、落ち着かない。
さっき屋上からあれほど煙っていたそこには、何もなかった。ただの空き地がぽつりとあるだけだ。
見上げた先の常は、忌々しそうに顔を歪めていた。
「やはり囮じゃったか」
独り言のように呟いて、一度しゃがむと、地面に手の平をつける。
「もうここにはいない。……厄介なことになりそうだ」
「厄介なこと?」
常の苛立ちの理由も、いま何が起こっているのかも琴子にはわからなかった。
だがそれを常は気にした様子もなく、琴子の手を掴んで歩き出す。
「ちょっ、と、どこいくの?」
「おまえの磁場を乱しておく」
常の様子は、明らかにおかしかった。さっきまでの自信に満ちあふれた彼ではない。何かに焦っているように、琴子の手を強く握ったままに歩いていく。
「磁場を乱す、って、どう、やって、?」
細い通りを抜けた先にある坂は急で、琴子の息は乱れる。
けれど先を行く常は少しも疲れた様子も見せず、厳しい表情のままだった。
坂の先にあるのは、修繕中の神社だけだ。
高台にあるそこで、琴子は幼い頃よく遊んでいた。その見慣れた赤い鳥居が目に飛び込んでくる。
「匂いのようなもんだと説明したじゃろ?そこに別の匂いを混ぜて、わからなくしてやれば良い」
「まぜ、るっ、て?」
はあはあと、息が苦しい。赤い鳥居のずらりと並んだ階段を、強引に上がらされていく。ようやく一番上まであがると、この町が一望できる広々とした視界が広がっていた。
「はあ……っはあ」
膝に手をついて、肩で息をする。体育の授業でもこんなに苦しくなったことはまずない。
けれどこの景色は絶品だった。
赤と透ける青が混ざって、暗いグラデーションが空を溶かしてゆく。
「なつか、し……」
「来い、時間がない」
子供の頃に見ていた景色を懐かしむ時間を、常は許してくれなかった。
引っ張られるままに、神社のお社に連れていかれる。
「ちょっと、入っていいの!?」
「いまはここを寝屋にしているからな」
古ぼけた障子を開け、奥へと進むと、さほど汚れてはいない畳の部屋がいくつかあった。
常が手をかざすと、部屋のあちこちに置かれた燭台に火が灯る。
「それ……便利だよね……」
「まあな」
琴子は畳の上に座り込んで、ぐるりと周囲を眺めた。
確かに老朽化はしているが、そこまで修繕が必要なほどとは思えない、普通のこじんまりとした家のようだった。
常がくるりと琴子に背を向けて、部屋の奥を向いた。小さな白木の古びた祭壇があり、その向こうは木の格子がはめられていて、また奥に白木の大きな祭壇が見える。
「修繕してるって……除霊師ってそんなことまでするの?」
「うるさい上司がいるからな」
常が緑色の葉っぱを一束つかんで、祭壇の両脇にある、白いお皿の上を滑らせた。酒か水かわからなかったが、それを葉で撫でて、ざっと振る。
低い声で文言を呟いて、木を銀色の花瓶のようなものに指した。
次に、目の前のやはり白い皿に乗った米を掴むと、それを叩きつけるように周囲に振りまく。
声をかけようとして、琴子はやめた。儀式のようなそれを、邪魔していいとは思えなかった。
「……さて」
深々と祭壇に向かって一礼した常が、くるりと琴子を向く。
「終わったの?」
「いや、これからだ」
常が身体を伸ばして、琴子の手を取った。引き寄せられる。
「なっ、なに……っ」
あまりに強い力で、抵抗する間もなく常の腕の中に抱きしめられてしまった。
常の表情が、いつも見ていたそれとは違う。余裕を無くしているようにさえ見えた。
「磁場を乱す、と言ったろう」
すっと常の手が、琴子の深緑のスカートの中に入ってきた。驚いてそれを制止しようと常の手首を掴んでも、常はやめない。
「やっ……!」
指先が、下着に触れた。つ、と一回撫でた後、それを剥ぎ取られる。
常の表情は、普段と何も変わらなかった。こういう時に発せられる熱もなにも、常からは感じられない。
「ちょっと、やだってばっ!」
逃げようと身体をひねってみても、肩口を常の片手で押さえ込まれ、膝の上に抱きかかえられるようにしてスカートの中に手を差し込まれている。これではどうすることもできない。
「たすけてほしいんじゃろう?」
「ほしい……けどっ」
確かに、助けてもらうということは、彼に対価を支払うということだ。
だが、こんな何の覚悟もないまま、何かをされることには抵抗がある。
常が不意に顔を上げた。障子の向こう、もうすっかり赤くなっている外の空気を見据えるようにして、視線を注ぐ。
「な、に……?」
「しっ!」
スカートの中の手の動きを止めて、常はじっと一点を見ていた。
びりびりと、まるで電気を発しているように常から緊張が伝わってくる。
琴子もまた常が見ている方を見据えて、そして身体を強ばらせた。
「……来た」
にい、と常が笑う。なにが、と、叫び出したくなる気持ちを琴子は必死に呑み込んだ。そして常の腕に思わずしがみついた。
ざわ、ざわ、と、空気が騒いでいるのが肌でわかる。
障子に貼られた和紙が、風もないのにカタカタと揺れ、炎もまた揺らいだ。
「できる限り、声を出すな」
琴子を見ずに、例の婉然とした笑みのままで常は言った。
言って、そしてスカートの中、下着を膝上まで降ろしていた手を、琴子の秘所に触れさせる。
びくりと琴子は身体を震えさせた。まさかこんな時に、そんなことをしてくるとは思ってもみなかったからだ。
常の指が、まずそっと茂みを割った。そしてスリットをゆっくりと撫でる。
琴子は恐怖と緊張、そして羞恥で、ただぎゅっと常の制服のシャツを握りしめた。
「……っ」
襞を常の指が撫でていく。ゆっくり、慎重に撫でて、そして蕾を見つけられた。くっと小さくそれをつままれる。けれど、常は自分を見てはいない。
親指と人差し指で軽く押し潰すように摘まれて、微かに擦られる。
ひんやりとしたその温度に、鼓動が激しくなる。
「ふ……っ」
琴子は必死で声を呑み込んだ。外に何かが、いる。常がいま自分にしている行為は、恐らく何か意味があることだ。
けれどそうわかっていても、そこに触れられることで快感は生ずる。
例え、これが何らかの儀式だとしても、常も琴子もお互いに思慕の情を持っていないのだとしても、身体は刺激に応えてしまうのだ。
くっ、と、常が笑みを濃くした。王者の笑顔だ、と、琴子はぞくりとする。
「やつは悔しかろうな……」
その言葉の意味を考える暇もなく、指が蠢いた。
いつしかぬるりと常の指を、自分の愛液が濡らしている。かっと羞恥が強くなる。
ひんやりとした指が、少しずつ少しずつ、襞を擦り割り入ってくる。
「……っ、っ!!」
その刺激に、頭がぼうっと霞む。胸の奥が甘く痺れるような快感。
常の中指が、ぬるりと膣の入り口を滑った。思わず喘ぎが漏れそうになって、琴子は常にしがみついていない片方の手で口元を押さえる。
「!」
指が、入り口を軽く出入りした後、少しずつ、少しずつ、奥へと滑り込んでくる。それがもどかしい快楽となって、琴子の身体を震わせている。
「おまえには、やらん……」
肩をつかんだ常の手が、ぐっと力を込めて琴子を抱きしめた。
琴子は必死に常の横顔を見上げているが、常は決して障子の向こうの何かから目を離すことはない。
ついに指が、ぬるりと奥まで滑り込んだ。
「……っぁ!!」
びくん、と、琴子の身体が一度震えた。求めていたものが奥に届いて、琴子はわずかにではあるが、達してしまった。
ひくひくと、常の指を包んだ琴子の襞が収縮する。常が指をぞろぞろと動かすたびに、琴子は何度も喘ぎ声を噛み殺さなければならなかった。
「ひ……あ……っ」
常がぐっと膣壁を擦る。一度、二度、三度。
だめだ、と、琴子は叫びそうだった。もう声が抑えられない。
必死で顔を埋めるようにして、常にしがみつく。視線の先にあるスカートの下で、常の指が自分を犯している。たまらない。
「ここから、去ね……!」
低い声で、渾身の力を込めて常が言った。と、ガタガタと大きく障子が震える。
火が大きく揺らいだ。そしてその声の力と同じように、琴子のそこに挿入した指にもまた力が込められる。
「だ、め……、だめ……っ」
小さく、琴子は叫んだ。まるで琴子の高まっていく性感に共鳴したように、空気のざわめきもまた激しくなる。
「これは、わしのもんだ」
指が一度、いっそう深く、激しく挿入されて、琴子はもう堪えられなかった。
「………………っ!!!」
びく、びくっと、大きく琴子の身体が震えた。極限まで止めていた息を、一気に吐き出すような感覚。きつくしがみついていた常のシャツは皺になり、琴子の手は握りしめていたせいで色を失っていた。
「は、っ、は……あ」
ぬるりと常の指が、琴子の秘所から抜き取られる。
それを常は、一度ぱっと空で払った。滴った雫が、畳に染みを作る。
「――よう頑張ったな。終わったぞ」
琴子の肩を強く抱きしめていた手もまた緩んだ。琴子は朦朧としながら、常を見上げる。さっきまで犯されていた秘所が、まだひくついて、熱い。
「な、にが……あったの……?」
ぼんやりとした意識のままで、常を見上げる。と、常はあの挑戦的な笑みをまだ残したまま、ぺろりと指を舐めた。琴子の愛液のついた、指を。
その一連の仕草に、カッと琴子の羞恥が煽られる。
「お前に取り憑いた奴が来とったよ。囮でわしを呼び出して、ここまでついてきよった」
手のひらまで滴った愛液を舐めるその常の姿は、まるで動物的で、琴子は思わず赤く火照った顔をそむける。
「そ、それで?」
「帰った。今日のところは、な」
常が琴子の身体を起こす。琴子はあわてて、膝までおろされたパンティーをたくしあげた。
さっきは恐怖と緊張の中でわけがわからなくなっていたが、常にされたことを思い出すとカッと身体が熱くなる。しかも、それで容易く達してしまった自分がいる。恥ずかしい。
「奴め、わしに嫉妬しよる」
「嫉妬?霊が……?」
くっくっと、心底可笑しそうに常が笑った。琴子はその笑い声に、なんとなく不快感を感じる。
心が感じられないのだ。常から。いまこうして愛撫を受けても、性的な欲望や熱を何も感じられなかった。
「ま、これで二三日は奴におまえは見つけられやせん。安心じゃろ」
「磁場を乱すって……これがそうなの?」
得意げに言った常がこくりと頷く。快感の収まった琴子には、なんだかその常の平静さが、腹立たしかった。
「キスとか……こういうのとか……そんなんでしか自分の身を守れないんだったら、助けてくれなくていい!」
「なにを怒っとるんじゃ?」
常の腕から立ち上がり、突然怒り出した琴子を、常はわけがわからないという顔で見上げている。
「あんた、私のことなんて大嫌いなんでしょう!?こういうのは普通、恋人とするものなの!私のこと嫌いって言ってる人なんかに……」
琴子自身、自分が突然どうしてこんなに怒りを覚えているのかわからなかった。
乾という想い人がいるのに、他の男にこんなことをされてしまった自分が許せないのかもしれなかった。
ましてやその相手は、自分を好きではないのだ。
「助けろと言ったのはおまえじゃろうに……」
常は尚更わけがわからないようだった。そのすれ違いが苛立ちをいっそう強くする。
「もういい!放っておいて!」
「お、おい、琴子」
ドン、と戸惑ったままの常を突き飛ばして、琴子は神社を飛び出した。


連なった赤い鳥居は、夕陽を受けていっそう赤い。
階段をかけ降りながら、琴子は胸が張り裂けそうだった。
常は自分をあの霊と同じように、餌のようにしか見ていない。その直感は恐らく間違いはないのだろう。
そして琴子は、自分の身を守るためとはいえ、常に触れられて感じてしまった。
すぐそこまで霊が来ているという恐怖と混乱の中にいたとはいえ、乾のことなど僅かも思い出さなかった。
常の指で、声で、感じたのだ。
「どうしよう……」
長い階段を降りきって、鼓動は激しく鳴っている。
一度いま降りてきた階段の上、常がまだいる神社を見上げて呟いた。
「私、どうしよう」
苛立ちの原因は、わかっていた。
――嫌ではなかった。常に触れられて、いやではなかった。
その事実だけが琴子を混乱させていた。
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