呉ノ朱

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  十六.  

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「……をお祈りいたしまして答辞とさせていただきます」
一礼をして、壇上から講堂全体を見渡す。
いくつもの見慣れた顔、涙ぐむ生徒たちの姿。その中に十巴の姿を見つけて、行幸は少し微笑んだ。
式を終えてロータリーに出た十巴と行幸は、瞬時に後輩たちにもみくちゃにされる。
何本もの手が伸びてきて、半ば奪い取るようにボタンの争奪戦が始まった。
「ちょっ……ちょっと、落ち着いて……っ!」
降参するように両手を挙げた十巴の傍らで、泣いている生徒を何人も見る。
ああ本当に、これでさよならなんだ、と、行幸は思った。
大学に進学する自分や、ほかの生徒たちとは少し違う道を選んだ十巴と、これまでのようにバカみたいにはしゃいで、ふざけあって、他愛のない毎日を過ごすことなんかきっともう………。
「……黒崎、先輩?」
行幸のブレザーを引っ張り合っていた生徒たちの手が、ぴたりと止まる。
見上げられて、行幸は自分が涙ぐんでいることに気づかされた。
どうして最近はこんなにも、涙もろくなってしまったんだろう。
「ヤダ、あんたがひっぱりすぎたから……!」
「違う違う、大丈夫だから」
あわてて笑顔に変えて、つられて泣き出してしまいそうな後輩たちに手を振った。



ようやく嵐が去って、クラスメイトとも別れを告げると、やはりどうしたって十巴とふたりきりになった。
肌を触れ合ったあの夜以来、行幸は再び多忙な勉学の日々に戻ってしまって、こんなふうに並んで歩くのは久しぶりだ。
「…………」
気恥ずかしくなって黙った行幸は、ただそっと、隣に並んだ十巴の手をつかんだ。
十巴がさっと顔をあげたのがわかる。
こんなふうにいつも一緒に、もう18年も一緒にいたのに、手をつないで帰り道を歩くのなんか、初めてのような気がする。
――--違う。
フラッシュバックのように、記憶が再生される。
あの「木登り事件」の少し前。十巴は、クラスメイトにいじめられて泣いた行幸の手を引いて、通学路を歩いてくれた。
影法師が、アスファルトに仲良くふたつ、並んでいた。
あの頃はまだ、十巴の方が背もずっと、高かった。
……なくなよ、みゆき。
十巴はいつだって、自分の涙を笑って飛ばしてくれた。
思い出せば切なくて、行幸はいっそう強く、いまやもう自分が包めてしまうほど小さく感じられる十巴の手を、握った。
離れないように。離さないように。
「……なんかさ、照れるね」
ボタンのなくなったブレザーをひらひら揺らしながら十巴が笑って、指を絡めるように、きゅっと握り返してきた。
――-ただそれだけのことがこんなにも幸せなのだと知っていたなら、もっと早く、いくらだって早く、手をつないでしまえばよかった、と、行幸は思う。
並んで歩く帰り道は、いつもの帰り道とは違うルートをたどって、お互いにどちらが言い出したわけでもなく、どこへ向かっているのかわかっていた。




「……この木、桜だったのか……」
その場所に来るのはあの秋の日以来のことで、枝にはぽつぽつと、白いつぼみが春を待っていた。
「卒業、おめでと」
静かな声で十巴が微笑むので、行幸は顔をあげる。
振り返った先の十巴は、いままで見せたことのない大人の瞳をさせて、もうずっと遠くを見つめているようだった。
「ヘンな話、してもいい?」
ためらうように言って、十巴は木へと近づくと、その木肌を撫でた。
「……朝、ね。あの日の次の朝、すごく、こわくなっちゃったんだ」
十巴は遠い目のまま、尚もゆっくりと、撫でた。
「あたし、行幸がいなくても本当に大丈夫かって思ったら、すごく、こわくなっちゃった」
一度瞳を閉じて、そうして行幸をまっすぐに見つめる十巴は凛として、知らない女のようだ。
「こんなに好きだなんて、思いもしなかった」
染み入るように言って、照れたように、尚も笑う。
行幸は喉が詰まって詰まって、言いたい言葉はたくさんあったはずなのに、何を言うこともできない。
笑顔の十巴が、にじんでかすむ。
「本当はずっと、何にも変わってなんかなくて、好きだったはずなのに、さ」
遠い目をさせて微笑んだ十巴を、行幸もまた遠い目で見つめ返した。
風がざあ、と吹き抜けて、まだかたいつぼみを揺らした。春の匂いが濃くなっていた。
「………バカ」
何を言うこともできなくて、結局、言葉になるのはいままでと同じ軽口だけだ。
それでもいままでとは違う。
十巴はきっと、いま行幸がどんな顔をしているか、もうわかっているだろう。
行幸もきっと、いま十巴がどんな気持ちで笑っているか、わかっている。
吹き抜けた風が、髪を乱れさせて、顔を覆ってくれたことを行幸はひそかに感謝した。
十巴が自分の襟元からリボンをとって、一歩、二歩、と、行幸のもとへと近づいた。
「行幸。あたしさ……あっというまに大人になるよ」
青いリボンを行幸に握らせる十巴の手は、かすかに震えている。寒いからではない。
「がんばって夢かなえてさ、あっというまに刑事になって、ちゃんと一人でも立てるようになったら――」
行幸はうなずくのが、精一杯だ。
握りしめたリボンに、ぽつりぽつりと滴が降る。
「そしたら、行幸を、むかえにいくからさあ……っ」
笑顔のままの十巴の頬を、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれおちた。
それが地面に落ちるよりずっと早く、行幸は十巴の両手を握った。
「うん……」
この手を離したら、もう十巴は行ってしまう。
はじまったばかりの恋のはずなのに、終わりの予感が胸を焦がして、何を言葉にすることもできない。
涙があとからあとからあふれて、子供のころのように、行幸は泣いた。
「そしたらさあ、行幸ぃ……っ、およめ、さんに……、っ、なって、くれ、る?」
すぐ目の前で、しゃくりあげながら、十巴が言う。
覚えていてくれたのか、それとも思い出したのかはわからない。
そんなことはどうだってよかった。
気がつけば、その身体を引き寄せていた。
「うん…………!」
力いっぱい頷く。強く抱いた体は細くて、力をこめたら折れてしまいそうなのに、それでも抱きしめることをとめられない。
懐かしい、ひなたの匂いがして、息ができない。
離れたくなかった。離れられなかった。
もうずっと、まるで半身のように一緒にいたのに、いまさら失えだなんて酷すぎる。
「……っ………う、…………っ」
あとからあとから涙が零れ落ちて、十巴のチャコールグレーのブレザーを黒くさせる。
自分たちの間を通り過ぎる風が、葉を揺らしていく。
春は近いのに、まだこんなにも、寒い。
十巴の髪がさらさらと揺れる。それは陽にきらきらと、金色で……。
しばらく抱き合ったあと、行幸は、ようやく体を離して、手のひらで十巴の顔を拭いた。
鼻水をたらしながら泣く十巴は、どう見たって大人になんか見えはしなかったのだれど、それでもうれしくて、けれどさみしくて、拭った手を制服でこすった。
「……ありがと」
満足そうに、満面の笑顔を向けた十巴は、自分のブレザーの袖で鼻を一度擦ると、行幸から離れる。
「じゃあ、そろそろ行くわ、あたし」
「……そう、だな」
行幸はうなづきながらも、離したくない、と、袖をつかみかけて、とめた。
ふと、制服のポケットの中にあるものを思い出して、十巴、と呼び止める。
「これ、とっといたよ。一応、な」
十巴の手のひらにのせたのは、ブレザーの第二ボタン。
そういう風習を大切にしていたわけではなかったけれど、なんとなく、十巴以外の女子に渡したくなくて、そっとしまってあったのだった。
「なんか、指輪の交換みたい」
十巴は真っ赤な目のまま笑って、ボタンを握り締めたまま手を振った。
少しずつ、遠くなっていく姿を、行幸は一人、立ち止まって見送る。
ああ本当に、最後なんだと思えば、どうしようもない気持ちにとらわれて、動くこともできない。
もうずいぶんと遠くなってしまった十巴の影が、突然くるりと振り返った。
「行幸ーぃ、また、セックスしような――-!」
「バカ……」
遠くで、日差しをいっぱいに受けて大きく手を振って笑う十巴に、行幸は苦笑する。
笑ってしまえば胸は少し晴れて、すっかり十巴の姿が見えなくなると、行幸は空を仰いだ。
胸がすくような、青い空だった。
ふいに、あの童話のラストを思い出した。
「……俺がおじいちゃんになる前に、迎えにきてくれればいいけど」
つぶやいた声は、吸い込まれるような青に、溶けて消えた。
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