呉ノ朱

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  十三.  

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失う前からもう、あのベランダがなくなるということはどういうことかわかっていたはずなのに、なくなって、そして新しいベランダができて改めて、どれほど大切なものだったのかを思い知らされる。
「すっかり遠くなっちゃったな……」
十巴はもう手を伸ばしても届かないと知っていても、行幸の家の方へと手を伸ばした。
いままでのベランダとは違う、しっかりした石造りの新しいベランダは、ひんやりと冷たくてまるで知らない家のようだ。
十巴が出ていったら、十巴の部屋は先日生まれたばかりの一乃の子の、孫部屋にするんだ、いつ来てもいいように、と、父親はこれ見よがしにウキウキと、子供用の家具やぬ いぐるみを買いそろえては、ケンカをふっかけてくる。
なんだかんだ言って彼は、十巴と男親子のようにケンカをするのがたまらなく好きな人なのだ。
いま思えば、ベランダを盾にとったのも十巴を引き留めるための彼なりの手段だったのだとわかる。不器用なのだろう。
そういうところは姉と十巴がきっちりと受け継いでしまった。
そんなふうに思えるようになったことで、自身の成長を知る。
「さむ……っ」
今夜は雪が降ると、朝の天気予報が告げていた。
雪が溶ければ卒業で、春からは数ヶ月の寮生活が決まっている。
十巴は思わず、ぞくりと身体を抱いた。
ベランダの向こう側の、行幸の部屋は暗い。 まだ帰っていないのだろうか。それとも、もう寝てしまっているのか。
いよいよ受験を控えて、予備校の特殊カリキュラムに参加しているのだと言っていた。やはり検事を目指すのだろう。
三学期に入った学校は、授業も減り、委員会も生徒会もないいま、たとえ数週間ではあっても、こんなに長い時間離れていたことなんかなかった。
例年と同じく騒いで過ごしたクリスマスや年越し、二人で行った初詣やなんかが、まるで嘘のように、十巴はいま、ひとりきりだ。
行幸が、足りない。
隣に行幸の姿が、ない。
――--これからも、ずっと――--?
思った瞬間、全身を寒気が襲う。
髪が芯まで冷えているのがわかるのに、十巴は部屋に戻ることをしなかった。
「このくらいの距離……」
むかしなら飛べた、と、十巴は手すりをつかむ。
身体は大きくなっているのだから、昔よりも飛べるはずだと思うのに、近頃やけに主張を始めた胸や尻が、身体を重く、地へと引き留める。
そのうち、ベランダを飛んでやろう、だとか、木をのぼってやろう、だとか、そういう気持ちもなくしてしまうんだろうか――--。
「………行幸」
呟くように、名前を呼んだ。
どうしてだか、行幸に会いたくてたまらなくなってしまった。
いままでだったら、ここをひょいと飛び越えて、夜中だろうと会いにいけたのに。
いまとなってはこんな夜中に、まさか玄関から訪ねることもできない。
――-こんなに近いのに、こんなに遠い。
行幸に対してそんなことを思ったのは、初めてだった。
なんだか鼻の奥がツンとして泣き出したくなってしまったから、あわてて顔を上げる。上げた顔に、ひんやりとつめたいものが降った。
「雪だ……!」
手のひらを空にかざして、降ってくる白いものを受け止めようとする。
「雪だぜ、みゆ……」
輝かせた瞳でパッと振り返って、そこにはもう続くベランダがないことに気がついて、手のひらを握った。
降ってくる白い吹雪が、あの合格した日の紙吹雪と重なった。
――それでも破かなければよかった、とは、どうしても思えなかった。
文化祭のあの日、行幸はもうあのやせっぽちの行幸ではないと、気づいたから。
もう自分の後をついてくるばかりではなく、自分もまた、もう行幸の後をついてゆくばかりではなく、お互いにそれぞれの、別 の人生なのだと知ってしまった。
行幸はもうあんなにも男で、そうして自分はやはり女なのだと、知らされてしまった。
知って、しまった。
「…………」
消え入る声で、名前を呼ぶ。見つめた先の、部屋は暗い。
開いた手のひらの中で、溶けた雪は涙のように滴を作っていた。
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