呉ノ朱

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  十二.  

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「う、う、う、受かった!!!」
半ベソになりながら、合格証をトロフィーのように掲げた十巴を出迎えた姉妹たちは、全員顔を見合わせた。
「ウソ!」
「冗談だろう!?」
「……日本の将来が憂鬱」
ウソ、と叫んだ百花はケーキを取り落としそうになったし、冗談だろう、と尚も繰り返す大きなお腹をした一乃は、産気づきそう、と漏らして母親をハラハラさせ、千尋は一言呟いたきり、しぶしぶ自らの達筆で壁に貼っていた『十巴・残念会!〜だいじょうぶ、来年があるさ〜』の張り紙をはがしにかかった。
「おめでとう」
笑顔で迎えたのは結局、行幸ひとりで……十巴は思わず、その腕のなかにタックルするように飛び込む。
鼻水をたらしながら喜びに泣く十巴と、ここまでの自らの苦労を思って感慨に耽る行幸の姿は、感動的な姿であったのだが――-
「……モモたち、おじゃまみたいね」
「私には、ヘレンケラーとサリバン先生にしか見えないが」
微笑みながらケーキを食卓へと置く百花に、一乃が冷静に言った。




「受かっちゃうもんなんだなあ、日本の警察」
パーティーも終わり、いつものようにベランダで柵を挟んで、行幸は十巴の合格証を月明かりに透かした。
「お、おい、なくすなよそれ!」
命より大切だ、とでもいわんばかりに、十巴は行幸の手からそれをひったくると、大事に胸に抱く。
その姿を微笑ましく、けれどどことなく寂しげに見やった行幸が、突然仰々しく手のひらをぽん、と叩く。
続いて彼が言った言葉は、わざとらしいほどの棒読みだった。
「あ、そうだ。合格祝いがあったんだった!」
「えっ!?なになに!?警察手帳!?特殊警棒!?」
そんなもの、あげられるものか。
いきなり目をキラキラとさせた十巴に苦笑して、行幸はちょっと待ってな、と、自室へと戻っていった。
行幸が戻ってくるまでの時間はわずかだったが、ひとり、ベランダに残された十巴は、なんとはなしにてすりをさする。
ベランダの周囲には鉄骨の足場が既に組まれており、下を見下ろせば既に基礎工事は終わっている。
今日の自分の合格で、工事はきっと、もう撤回することはできない。
十巴はもう、選んでしまったのだから。
――なくなるんだ、もうじき。
そんな思いに、さっきまでの瞳の輝きを曇らせた時だった。
「はい」
目の前に差し出されたのは、一通の封筒。
「? なにこれ、図書券?」
「バカ。…………開けてごらん」
苦笑しながら、行幸は手すりにもたれて、十巴がその封筒を開くのを待ちわびているようだった。
金券にしてはやけに薄いな、と思いながら封筒の中身を取り出すと、それは、見覚えのある文面 。
数ヶ月前に、十巴も記入をした――---第三種警察官採用国家試験の、願書だった。
「これ……!」
十巴は思わず顔を上げる。行幸はどこか嬉しそうな眼差しで、十巴を見ていた。
「おまえ、知らなかっただろ。女子と違って、ここの男子警察官の試験は、年に三度あるんだぜ。……その三度目の願書締め切りが、12月。あと数日しかないけど、間に合ってよかった」
そこには丁寧な文字で、名前や住所が記載されている。
「これを出して試験を受ければ、春には、俺もおまえと同じ警察官ってこと。試験は多分、受かるだろうし」
「……なりたいのか?警察官」
行幸の明るい口調とは逆に、十巴は喜ぶわけでもなく、ただじっと、百花と同じ形の大きな瞳で行幸を見つめた。
「一番になりたいのとは、違うけどな」
「検事になるんだって、言ってたじゃんか!」
十巴が張り上げた声に、行幸は思わずぎょっとさせられた。
あの熱の夜の日のことを、覚えていたのか、と。
覚えているとわかれば、嬉しさと、気恥ずかしさとが同時に心を揺さぶる。
それでもその動揺を出すことはなく、首をわずかにかしげた。
「それも一番じゃないよ。だから、別にいいんだ」
「別に、って、そんなんで警察官なんかなるな!」
もっともだ、と、行幸は少しうつむいた。十巴がそう言うだろうということはわかっていた。
それでも彼女が本当は、自分に共に来てほしいと願っていることも知っていたから、自己の利益より正義感をとる十巴を、改めて誇らしくも、思ったのだった。
だから微笑みは消えなかった。
「……十巴の言うとおりだな。じゃあ、これはナシ」
ひょい、と十巴の手の中の紙を取り上げて、瞬時に破く。
瞬間、十巴が惜しむように眉根を寄せたのを見逃さず、嬉しく思いながら。
「あーあ……」
「あーあって、おまえがダメって言ったんじゃないか」
すっかり細かい紙片にしてしまいながら、行幸は苦笑する。
その手のひらいっぱいの花吹雪を、パッと十巴へと降らせた。
「でも、嬉しかっただろう?」
「…………うん。ありがと」
とがらせていた口を笑顔に変えて、十巴が微笑む。
冬の空気に頬を赤く染めて、満面で、幸せそうに微笑むのだった。
この笑顔だけで十分だ、と、行幸はもう、心底思えるようになっていた。
あのセンチメンタルな秋を過ぎて、季節ももう冬だ。
やがてこの紙吹雪のようにしんしんと雪が降りて、わずかに残る、彼女を想う心もきっと凍えてくれる。
「冷えてきたな、そろそろ寝よう」
白い息を軌道に残して、踵を返そうとしたそのとき、不意に十巴に呼び止められた。
「なあ、それで一番なりたいものって何?」
その問いに、行幸は曖昧に微笑む。
「……おまえの夢が子供の頃から変わってないように、俺の夢もずっと変わってないよ。おまえ、覚えてないだろうけど」
「えー?」
不満げに、十巴は宙を見やった。必死に思い出そうとしているのだろう。
やっぱり覚えているわけないか、と、傷つくわけでもなく、思わず笑いがこぼれる。
いつのまにか、すっかりいつもの自分たちに戻れたことも嬉しい。
「でもね、逆立ちしたって絶対叶わないから、いいんだよ」
「ええー?なんだよそれー」
ますます不満だ、とでも言いたげな十巴を残して、行幸はおやすみ、と、再び踵を返してベランダへと続くサッシ窓へと手をかけた。
きっともう、次にこの窓を開くときには、ベランダはなくなってしまっているのだろうと、十巴の合格によって自分たちはもう決定的に道を分ってしまったのだと、そんなことを思えば眠れなくなるから、だからいたって普段と同じようにおやすみ、と、手をかけたのだった。



その翌日、ついにベランダが、消えた。
十巴は怒ることも泣くこともせず、ただ静かに、その解体工事を見守っていた。
視線を注ぐ横顔は、あの秋の夜中、木の上で見た横顔と同じ表情をして、噛みしめた唇だけが、彼女の悲しみを無言で示した。
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