呉ノ朱

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  十一.  

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「……やっぱり、ここか」
真っ暗な林は、シンシンと夜の鳴き声をさせて、久方ぶりに帰った少年を迎えてくれた。
「なつかしいな」
いつか落ちた木はこんなに低かったのか、と、驚きのような心地で枝をつかむ。
腕の力だけでひょい、と身体を持ち上げて、その枝に身体を乗せると、すぐ隣に、白い足がぶらさがっていた。
知らぬ人間が見たなら、まるでホラーという光景でも、行幸にはもう、その足が誰のものかわかっていた。
「十巴、みんな心配してるよ」
十巴は一段高い枝の上で、まっすぐに遠くを見ている。
あの日の少年の横顔が、その輪郭に重なって消えた。
「――今日は」
一息ついて、その言葉を言うには少し勇気が必要だった。
「今日は、ごめん。どうかしてたんだと思う」
見上げても、十巴が返事を返すことはなく……やがて静かに、鼻をすする音が聞こえてきた。
「……あたしこそ」
十巴は膝を抱えるように枝の上に座ったまま、手の甲で涙を拭う。
「避けてたわけじゃ、ないんだよ。ただ……なんていうか……」
必死に言葉を探している十巴に、行幸はただ、首を振った。
「ごめんな。こわがらせちゃったよな」
「行幸が、じゃない」
十巴がまた、ぐし、と、鼻をすする。
「景色が変わっちゃったよ、行幸」
すっかり泣き声になってしまった十巴の言葉に、行幸もまた、あの少年の頃の視線と同じく街を見下ろす。
だがあれだけ広がっていた空はすっかりと狭く、立ち並んだマンションやビルに隠されてしまっていた。
「……ここだったら、ずっと同じなんじゃないかって、思ったのに」
泣き声を含んで、十巴がひどく痛切に、そんなことを言った。
「いろんなことが変わっちゃうのがこわくて、ここに来たのに……なんで……っ」
「…………」
十巴を変えてしまったのは、きっと自分だ。
そう思う胸が張り裂けんばかりに痛んで、行幸は十巴を見上げることができなくなった。
なんであんなことしたんだ、と、責められたほうがずっとましだ。
「ベランダだってずっとあって……行幸はずっと行幸で、あたしはずっとあたしだって……っ、ずっと同じでいられるって、思ってたんだよ……!」
上から降ってくる声が、あまりにも重い。
何かを言葉にしようと口を開いては、何も言える言葉がないと気づいて、つぐむ。
白い足先が、行幸の肩を蹴るようにつついた。
「行幸、あたしどうしたら……ぁっ!」
言いかけた十巴の声の終わりが消えて、枝がきしんだ。
反射的に見上げれば、十巴の手が、肩が、空から降ってくるところで――-
「十巴っ!」
声より先に、手が出ていた。
バランスを崩した十巴の身体をしっかりと抱いた腕は、その重さに、枝から身体をひきずり落とす。
そうして、懐かしい痛みが、背中をひどくに打ちすえた。
「行幸!」
つぶされた肺が、一瞬呼吸を止めさせる。
身体の上に十巴の身体の重みがずしりと乗って、華奢に見える腕や脚でも、きちんと女のやわらかさをしているのだと、こんな時ですら思ってしまう自分を馬鹿だ、と行幸は思った。
咳き込みながら、大丈夫、と、手で十巴に合図を送る。
うっすらと開いた瞳から木々と、夜空が広がって、あの頃は十巴の腕を折るほどの高さだったのに、いまはこんなにも低く地上に近いのだと教える。

――-変わらない、ものなんかない。

悟ったようにクリアになった頭が、視界を開かせて、かわりに飛び込んできたのは子供の頃のままの、十巴の泣き顔。
「……はは……っ」
咳に混じって、笑い声が漏れた。
ああ確かに、自分は変わった。けれどだからこそ、今度こそ十巴を抱きとめて、守ることができた。
――つよく、なるから。ともえちゃんを、まもるから。
子供の頃、誓った思いを、今度こそ叶えることができたんだ。
「み、行幸ぃ……」
頭を打ったとでも思ったのだろう。涙で頬に筋を描いたままの十巴が、行幸の身体をゆする。
その不安げな顔を見ながら、行幸はもうひとつ、思い出したことがあった。
「だ、いじょうぶ。ちょっと背中打っただけだからさ……っ」
身体を静かに起こす。数日は痛むかもしれないが、病院へ行くほどのこともない、なんてことのない痛さ。
「十巴」
手を伸ばせばぴくりと震えたその頬を、親指で涙の筋を消すように何度も撫でる。
「俺だって、変わるのはこわい。……ベランダのことだって、ずっと淋しかったよ」
「……ほんとに?」
返ってきた声はかすれていて、なんだかまるで、休日の約束を破った父親と拗ねる子供のようだ、なんて行幸は思う。
「ほんとうに。――でも、ベランダが残ることより、十巴の将来の方がずっと大事だと思うから。……ちがうか?」
諭すように穏やかにそう言うと、十巴はぶんぶんと頭を降って、「ちがわない」と小さく言った。
「なりたいんだろ、警察官」
「……なりたい」
声が震えている。 行幸は抱きしめたい衝動を、懸命にこらえた。
十巴の夢は、小学生の頃から変わらない。
夢だけではない、彼女の何もかもが、ああまったく、小学生の頃から変わらないのだ。
「……ベランダがなくなったって、卒業して進路が違ったって、俺たちは友達だよ」
言って、十巴の頭を引き寄せるように胸にあてたら涙が出た。
打った背中が痛むからでは決してなかった。
そう、友達だ。親友だ、と、胸を張って誇ることができる。
いままでどれほどの回数、神様、と、思ったかしれない。

――かみさま、ぼくにともえちゃんを、ありがとう。

幼い頃から彼女の隣に唯一無二の友として並び立つことを、胸につけたピカピカの金バッジのように誇らしく思いながら――それでもいま、その言葉を口にするのは、たまらない心地だった。
彼女は確かにピーターパンで、一人、本に齧りついてばかりいた自分の手を引いて、飛べるんだと教えてくれた。
その彼女を、空から落とすことはどうしたって、できない。
「ずっと、ずーっと、友達でいるんだ。そうだろ?」
自分で言った言葉なのに、泣きたくなった。
指の先からその思いが伝染でもしたかのように、十巴の見開いた瞳に、みるみる涙がたまってゆく。
「……そんなの……あたりまえじゃんか……」
十巴は行幸の胸へと顔をおしつけた。
寒さからではなく震える肩を、抱きしめたい衝動を、行幸は懸命にこらえた。
あたりまえだ、と変わらず言ってくれることの幸せと、友達があたりまえであるという不幸せ。はかりに乗せたなら、どちらが重いのだろう?
「困らせて、ごめんな。もう、大丈夫だから……」
それでも行幸は片手だけで、十巴の肩をそっと抱いて、瞳を閉じた。
思い出したのだ。あの日、かみさまに約束したことを。
――ともえちゃんを、まもる。
これからさき、うれしいこと、ひとつもなくてもいいから。
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