呉ノ朱

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  六.  

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……行幸のやつ!行幸のやつ!行幸のやつ!!!
のしのしと体育館へ向かって歩きながら、十巴はそれはもう、怒っていた。
「あっ、十巴!ホラ、早く着替えないとー!」
「わかってるよ!」
体育館に入ろうというところで、クラスメイトに捕まり裏手へ引き込まれる。
トーナメント戦が終わり、グラウンドではミス鷺ノ宮の選考大会が行われていた。今頃百花も、最終選考のウエディングドレスに着替えているころだろうか。
「セリフ、大丈夫?」
一方では洗い立てでボサボサになった髪をセットされ、一方ではタイツを履かされ、という慌ただしい空気の中、クラスメイトの言葉にぴたりと動きが止まる。
「セリフ……?」
「ちょっと、ヤダ、十巴ってばー!」
この数日、トーナメントや風紀委員会のことばかりに頭をとられて、せっかく覚えたはずのセリフは、とうに記憶の片隅に押しやられてしまっていた。
渡された台本をひったくるようにして目を通しながら、ふと、その右手に目をとめる。
行幸の力がかかった関節が、まだキシキシと痛い。
その痛みよりも強い、胸をチクリと刺すような痛みがあったのに、十巴はそれがどういう病なのか、気づきはしないのだった。


「ごめん、遅れて」
「いま始まったところだから。それより大丈夫?」
上手から、舞台を覗き込むようにした行幸は、隣に並んだクラスメイトを安心させるように微笑んだ。
あの試合の後、そのまま寝入ってしまった行幸が起きたのは結局、ミス鷺ノ宮の選考大会が終わったあたりで、誇らしげなウエディングドレス姿にトロフィーを抱えた百花に叩き起こされたのだった。
――舞台を見やれば、ちょうどあの出会いのキスシーンだった。
十巴と練習したのはほんの数週間前のことだというのに、なんだか随分と、懐かしい。
思えばこのシーンがなにもかもの発端で、あの練習さえなければ、今日のトーナメントもありえなかっただろうと思うのに。
「聖者には唇がないのでしょうか、それに巡礼には?」
パーティーでざわめく舞台上で、煌びやかな衣装を身につけた十巴が、こちらも煌びやかな、しかし屈強なジュリエットの手を取る。
「やるな……権田原」
亜麻色のカツラをつけ、白い清楚なドレスに身を包んだ90kgはあるであろう権田原は、それでもはにかんでロミオを見つめている。
それがそんじょそこらの女子生徒より愛らしく見えてしまうのだから、不思議極まりない。
「それならば、私の愛する聖女さま。私の祈りを聞き届けてください。でなければ、私は絶望してしまいます……」
十巴もセリフを間違えることなく、多少棒読みではあるものの、なんとかかんとか、様になっていた。
舞台袖から客席を見れば、最前列に陣取った十巴のファンらしき下級生たちが、権田原と同じ表情をして、うっとりと目を潤ませているのもわかった。
が、突然にその彼女たちの顔が一同にひきつる。
「イヤー!!」
叫び声に反射するように、行幸も舞台へと視線を戻した。
十巴の手が権田原の腰にまわり、もう片手でその青々とした髭そり跡の残る顎をつかんだ十巴は、権田原にキスを……したのだ。
「ちょっ、演技でいいって言ったのに……!」
隣のクラスメイトの小声の叫びと共に、ガン、と頭を殴られたような衝撃が、行幸を襲った。
――なにが悲しくて、一日に二度も、好きな女のキスシーンを見なければならないのか。
ましてやそのキスシーンは、妙に濃厚だった。
すぐにそれが、自分が十巴にしたキスの仕方なのだと気づく。
おそらく誰より戸惑っているのは舞台上の権田原に違いなく、顔を真っ赤にさせた権田原は、両手で顔を抑えながら、駆け出すように下手へと消えてしまった。
「やば……!」
行幸と女子生徒とは一度顔を見合わせて、あわてて舞台裏、権田原が控えているであろうあたりへと向かった。
「ちょっと、権田原くん、大丈夫?」
顔を染めたジュリエットは、椅子に座り髪を乱しながら、いまにも泣き出しそうだった。
「信じられない!舞台でほんとにキスするだなんて!」
この数週間、ひたすらジュリエットになりきってきた彼は、こんなときですら女っぽく身体をくねらせて抗議したのだった。
「まあまあ、犬に噛まれたとでも思ってさ」
「彼女だって観にきてるのに!……あ、あんなキス!」
顔を真っ赤に、そして目元にアイライナーを滲ませながら叫ぶ権田原の言葉に、行幸は内心、すみません、と謝った。
十巴が一体何を考えているのか、今回ばかりは行幸にもわからなかったが、あんなキスを教え込んだのは自分である。
女子生徒たちの慰めの言葉も通じず、よほどショックだったらしい権田原は、再び両手で顔を覆う。
しかし嘆く権田原とは対照的に、周囲の衣装係のクラスメイトは淡々と、彼のドレスを次のシーンのものへと着替えさせていく。
「……じゃあさ、ちょっと十巴、懲らしめちゃおっか」
何かに思いついたらしい女子のうちのひとりが、行幸を手招きし、耳元で囁いた。
「え!?」
囁かれた言葉に、行幸は一度、自分自身を指さす。
いたずらっ子のような意地悪な笑みを浮かべた彼女は、こくりと頷いた。

多少流れが脚本とは変わっても、機転のきく他のクラスメイトたちのおかげで滞りなく舞台は進行し、次はいよいよ、有名なバルコニーのシーンである。
「プロだな、権田原……」
再び舞台袖から進行を見守っていた行幸は、感嘆のように呟いた。
あれほど嘆いていた彼なのに、ケロリとしてロミオさま……である。
十巴もまた少しずつ舞台に慣れ、男女のキャスティングがすべて逆転したロミオとジュリエットは滞りなく進んでいった。
マーキューシオの死、ティボルトとの決闘、そしてジュリエットとの初夜、と、一時間という時間枠のなかでめまぐるしく場面 は変わる。
そうしていよいよ、ジュリエットの自殺シーン。
仰々しく嘆き悲しむ家族たちと共に、権田原が下手へと運ばれる。
暗転。
そしてスポットライトと共に、上手から十巴が駆けつけてきた。
「ああ、ジュリエット!なんてことだ!」
十巴はもうすっかりと、役に入り込んでいた。
覚えているかどうか怪しかったセリフたちもすいすいと口をついて出てきたし、いまや十巴は、最愛の恋人を亡くした哀れなロミオになりきっていたのである。
舞台の中央に、ジュリエットの眠る棺が置かれていた。
レースや花で飾り付けられたそれに眠るジュリエットに口づけをし、毒薬を飲んで自分の役目は終わる。
棺の中のジュリエットは、レースで覆われてよく姿が見えなかった。
「いま、最後のくちづけ………を!?」
そっとそのレースをかきわけ、頬に手を寄せようとして、十巴はぎょっと言葉を止めた。
――行幸の姿が、そこにあったからだ。
化粧をし、ジュリエットの姿をした行幸が、突然にぱちりと目を開ける。
硬直した十巴にかまわず、棺の中からジュリエットの手が、突然にゅうっと伸びて、ロミオの頭をつかんだ。
「!?」
ぐん、と頭が引き寄せられて、行幸の唇が、触れた。
その唇の温もりが、舌のぬめりが、混乱した頭を侵食していく。
力が抜けるようだ、と、十巴はここが舞台上で、そして自分がロミオであることを忘れかけた。
西園寺とかいう奴ともキスをした。さっきは権田原とも。
半ばやけになってしたあのふたつのキスは、これを確かめたいからでも、あったのだ。
……どうして行幸とのキスは、こんなに気持ちがいいんだろう。
時間にして数秒だったが、長いキスシーンに会場がざわざわとざわめき始めたときだった。
「ロミオさま!あなたのキスで、ワタクシはこんなにも美しく生まれ変わりました!」
ようやく離された唇で、行幸がかん高い声をあげた。
棺から颯爽と立ち上がった行幸の姿に、客席から黄色い悲鳴があがる。
顔を白く塗り紅を差した行幸は、女にはありえない体格ではあったにせよ美しく、嫣然と微笑んでちらりと舞台上から客席に向かって手を振ったり、していた。
その余裕の行幸とは裏腹に、十巴はへたへたと座り込んだ。
「なっ、なっ……!」
どっこいしょ、と言いながら、行幸が大股開きで棺を出てくる。
これは悲恋の話ではなかっただろうか。
「この姿ならば、みなもワタクシがよもやジュリエットとは気づかないはず。さ、いざ駆け落ちましょう!」
腰が抜けたままの情けないロミオを、ジュリエットがひょい、と抱き上げた。俗に言う、おひめさまだっこ、というやつで。
「ちょっ、おろせってば!ジュリエットが違う!」
客席はようやく、これが手のかかったドッキリなのだと気づき始めたようで、あちこちでクスクスと笑い声が起こる。
「権田原!ジュリエット!おい!」
ロミオはジュリエットに抱きかかえられたまま、必死に舞台袖に目をやったが、そこに並んだクラスメイトたちは皆にやにやと、意地悪な笑みを浮かべているだけだった。
「往生際が悪くてよ、ロミオさま」
行幸もまた叫ぶように言って、にや、と、腕の中の十巴を見下ろしたのだった。
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