呉ノ朱

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パン、パン、と、空に空砲の花火があがる。
その音で、生徒会室の行幸は目を覚ました。もう数日、家には帰っていない。
いよいよ今日か、と、ソファーから軋む体を起こすと、壁に貼ったメインプログラム表に目を通 した。
11時〜12時40分、藤篠十巴トーナメント
13時〜14時40分、ミス鷺ノ宮選考大会
15時〜16時、6A演劇『ロミオとジュリエット』
17時30分〜19時、後夜祭

実際は分刻みのスケジュールになるだろう、と、生徒会長室を出て、ドア続きの風紀委員室へと向かう。
と、飛び込んできたのは、行幸と同じく河岸のマグロのようにぐったりと寝袋に寝た生徒たちの中、一人、腹筋に精を出す十巴の姿だった。
「おはよ」
「……朝から元気だな」
俺はほとんど寝てないのに、と苦笑いを返し、上機嫌に笑う十巴をひきつれて、廊下に並ぶ水道へと向かった。
廊下は折り紙の装飾やら看板やらで飾り付けられて、今日一日の喧噪が既に伺える。
「で、結局何人残ったんだっけ?」
「6人」
ハブラシを口につっこんだまま、モゴモゴと十巴が答えた。
トーナメント参加者発表から一週間、多すぎる人数を減らすため、昼休みごとに予選を行い、今日の一時間で、本戦として優勝者を決める運びになっていた。
「6人って……オマエもその中に?」
「いんや」
それにしては十巴は傷一つない腕をして、口をゆすいだ。
「委員会の仕事もあるのに、身体ももたないだろ。だからあたしは今日だけ」
「大丈夫かねえ……」
つぶやいた行幸の言葉に、十巴が顔をあげた。
濡れた睫毛についた雫がはねて、朝の光にまぶしい。
「あんまり怪我、させるなよ」
十巴はTシャツの裾をもちあげて顔をふくと、に、と笑った。




「強い!強いです、風紀委員長!!いやさ、ふーじーしーのーとーもーえー!!!」
興奮気味に叫ばれた放送委員の実況に、周囲の歓声が煽られる。
レスリングスーツを着た十巴は、特設ステージの上に颯爽と立ったままで、リングに沈んだ生徒を、妖精のような保健委員たちが手厚く介護をしているのが見てとれた。
「さあ、いよいよ決勝戦。私もまさかここまで委員長が勝ち進むとは思っていなかったわけですが……いかがですか、解説の黒崎さん」
「そうですね」
解説席、と書かれたプレートを前に、マイクを受け取った行幸は、誰が黒崎さんだ、と、内心苦笑いをした。
「私は彼女とは幼なじみなわけですが――この十年、彼女が負けたのを見たことはないですね」
リング上では、次の対戦に備えて十巴が手当を受けていた。
汗にまみれた頬は上気し、腕やあちこちに赤く痣をつけていても、やはり十巴はこういうときが一番、輝いていると行幸は思う。
「ほう、それはすごい!あの細い体型のどこにそんなパワーが隠されているんでしょうか」
「多分細胞そのものがですね、僕たちとは違うのではないかと」
おどけるようにそう言って、行幸は言葉を濁した。
実のところ、十巴は一度だけ、稽古試合に負けた。
脳裏に、あの日の十巴の姿が蘇る。中学2年の頃だっただろうか。
あとにも先にも、十巴があんなに泣いたのを見たのは、あの日だけだった。
そんなことを思い出しながら、十巴へと目をやった時、歓声が再び、大きさを増した。
「おおっと、準備が整ったようです!次の対戦者の登場です!」
漫画であるなら、のし、という効果音がぴったり合うであろう男が、リングへとあがってきた。
いまどきいくらなんでもそれはないだろう、という風体の、袖の破れた道着を身につけた彼は、西園寺、と、これまた似合わない名を名乗る。
十巴を一度睨みつけて、すぐに視線を逸らした彼は、向けられたマイクを奪い取ると、がなり声をあげた。
「自分はっ、優勝商品を希望します!」
顔を赤らめた彼の大声に、当の十巴ならず、リングに集まった誰もが瞬間唖然とし、そして再びはやしたてる。
「ですが……、否、だからこそ、十巴サンを殴るなぞ、言語同断!」
唾を飛ばしながら言った彼が、ゆっくりと手を上げて、解説席に座った行幸を指さした。
「ゆえに自分はっ、生徒会長との決闘を申し込みたい!!」
「…………俺?」
固まったままだった隣の放送委員と行幸とは、一度目を見合わせる。
放送委員の瞳がいきいきと輝き始めた。
「おおっと、これは!宣・戦・布・告、出ーましたー!」
耳をつんざくような歓声と、放送委員の興奮しきった声に、行幸はようやく事態を理解する。
この鷺ノ宮学園において、自分と十巴とは、恋人同士だと思われているのだということを。
「ちょっ、そんなんナシだろ!おいっ!」
行幸より先に、十巴が西園寺につかみかかり、行幸はちらりとそれを見て、数秒、考えた。
「じ、自分はっ、十巴サンが、すっ、好きであります!」
十巴につかみかかられた西園寺は、真っ赤な顔をして必死に十巴の攻撃を避ける。
ぴくりと、行幸のこめかみが震えた。
「……やりましょう」
立ち上がり、ネクタイをゆるめる。
女生徒たちの嬌声に、微笑んで手を振ってやる余裕さえ、行幸にはあった。
「生徒会長が!生徒会長があぁ、リングにあぁーがぁーるうぅぅ!」
最早言葉にならないような声を背に、腕まくりをしたワイシャツとズボン姿の行幸は、リングへと立った。
「そんな格好で戦うなど、笑止千万!」
「四文字熟語が好きだね……」
小さく呟いて腕を伸ばすと、柔道着姿の彼と立ち向かった。
背中に注がれる女子生徒の嬌声と視線に賭けて、負けるわけにはいかない。
一瞬だけ、視線がからむ。
――おまえ、十巴が好きなのか。
そういう人間が少なくないことを、行幸は知っていた。
恋人同士だという噂を否定せずにきたのも、その理由からだ。
しかしこうして明確に目の前に立たれると、自分の中でくっきりと、浮かび上がる感情があった。
――ごめんな。でも俺も、あいつが好きなんだ。 もう、ずっと。
あの夜のキスから、加速度的に走り出した思いがあった。
試合開始のゴングの音が鳴り響き、消え入るのと、勝利が決するまで、あまり時間はかからなかった。
「よ……弱い!!弱すぎます、生徒会長!」
いとも簡単に足払いをされ、リングに仰向けに倒れた行幸は、軋む背中を押さえながら、ロープを掴んでゆっくりと起きあがる。
「いててて……」
苦笑いしながら、行幸はひらひらと、リングサイドで心配げな顔をさせた女子生徒たちに手を振った。
「ちょっと待て!オマエ、わざと負けただろ!?」
ロープをくぐり、行幸につかみかからんばかりの勢いの十巴を避けるようにして、行幸は解説席へと戻る。
「見事な瞬速負け、でしたね!会長」
「いやあ、腕っぷしはからきりダメでね……。だからまあ、ああいう委員長が必要だってことで」
シャツを整えながら、行幸は弱ったように笑った。行幸の言葉に、観客からも笑いが起こる。
風紀委員会は代々、何かと狙われがちな生徒会長のボディーガートも兼ねているのだ。
リングの上では十巴が尚も何かを怒鳴り続けていたが、行幸はちらりとそれを見るに留めた。
「しかし……これではどういうことになるのでしょうか」
「あたしは認めねえからなこんなの!行幸、テメエもう一回リング登れ!」
怒りが収まらないといった様子の十巴に、ざわざわと観客もざわめき始める。まずい、と、行幸は微かに顔をしかめた。
「行幸対あたしで、もう一度勝負しろ!」
十巴の怒声が、爽やかな秋晴れの青空に響き渡る。
「あたしが行幸に勝ったら……ええと、名前なんだっけ?」
「西園寺です」
「この西園寺と、いまここで、キスでもなんでもしてやろーじゃねえか!」
叫んだ十巴の声が反響するか、歓声が沸くのが先か、とにかくその騒音の中、行幸は立ち上がった。
奇妙な理屈だ、と、首を傾げる暇も、十巴は与えてはくれないのだ。
自分が西園寺に負けても、十巴は彼と戦いそして勝つだろうと思っていたから、行幸は試合を投げたのだ。
一度言いだした十巴が、このままでは収まらないであろうことも、行幸はよく、熟知している。
「これはっ、これは大変なことになりました!生徒会長対風紀委員長、愛憎渦巻く因縁の対決!さあ、生徒会長はこの挑戦を、受けるのか!!」
行幸は返事の代わりに、革靴をリングの外へと投げ捨てた。続いて、靴下も脱ぐ。
ぐるりとリングの周囲を見渡せば、たくさんの生徒が目を輝かせているのがわかった。
……観客は気楽ですこと。
やれやれ、と首を軽く回して、行幸は十巴と対峙した。
やがて、ゴングの音。
しなやかな肉食獣のような瞳をした十巴が、行幸につかみかかろうと腕を伸ばす。
「これでもこっちは徹夜で仕事してきてんだ、ちょっとは手加減してくれよ……っと」
行幸はその腕をかわすと、反対に、十巴の二の腕のあたりを掴んで後ろに倒した。
十巴がどう動くのか、行幸には既に、わかっていた。
頬のすぐ横を十巴の拳がかすめて、耳元で風が鳴る。
「こ、これはどうしたことでしょう!生徒会長の動きは先程とはまるで別人です!」
十巴の関節を固定しねじり上げながら、行幸はいつかの稽古試合を思い出していた。
あの日、試合に勝ったのは自分だった。
十巴は悔し泣きに泣いて、そうして行幸はあの日以来、祖父の道場に通うことをしなくなり、十巴とこうして手合わせする機会もなかった。
ショックだったのは、十巴よりも行幸の方だったのかもしれない。
行幸にとって十巴はいつも自分より先をゆく存在で、憧れながらその背を追いかけていればよかった。
けれど気づけばいつしか自分は十巴より、ずっと身体も大きくなり、力も強い……男になろうとしていたのだ。
――十巴の羽を、撃ち落としてしまった。
ともえちゃん、と、甘えていられる時間が終わったことに、行幸はあのとき、気づいたのだった。
「折れるよ、十巴」
「折れよ!」
関節技を決めたままで、腕の下で十巴が苦しげに顔を歪めている。
行幸はいっそう、力をこめた。十巴の悲鳴が耳をつんざく。
「……折れるわけ、ないだろうが」
行幸の腕から力が抜け、素早く十巴が立ち上がる。
ぜえぜえと喘ぐ息が、肺を軋ませて痛い。行幸はリングに仰向けに寝たまま、起きあがらなかった。
また自分が勝ったら、十巴は泣くんだろうか。
そんなことがちらりとかすめて、身体に力が入らない。
「生徒会長、起きない!カウントが始まります。ワン!……」
うるせえよ、と、心の中で毒づいた。
視界の隅で、十巴が見下ろしているのがわかる。
わざと負けたとでも思っているのだろうか?冗談じゃない。
十巴は実際、強くなった。あれ以来武道をやめた自分が、たとえ全力で戦ったとしても勝てるわけがないのだ。
「テンカウント!勝者、藤篠十巴!」
その声に、行幸は全身の力を抜いた。寝不足の身体は重くて、なかなか起きあがってはくれない。
「西園寺、来い!」
カウントが終わるやいなや、十巴がリングサイドの西園寺を呼びつけ、リング上にふたりが並ぶ。
そのまま十巴は、ぐい、と西園寺の首根っこをつかまえると、唇に……。
「キスです!衆目の中、藤篠選手、西園寺選手にキスだー!」
行幸はそちらを見ることはしなかった。
女子生徒の悲鳴やら、唸り声のような歓声やら、とにかくあらゆる声の波が、行幸の耳を通 り抜けて、行幸はそのまま、意識を手放した。
――だから言っただろう、寝てないんだって。
誰に言うこともなく、そう呟くように思いながら。
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