呉ノ朱

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  四.  

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翌日、文化祭演目の最終認可書類に目を通し、会長印を捺していた行幸の目に、とんでもないものが飛び込んできた。
「十巴!」
書類を握りしめたまま昼休みの教室へと飛び込めば、パンをくわえたままで台本に向かっている十巴が、顔をあげる。
「ん?」
「お前、なんだよこれ!」
息せきながら、十巴の前にその書類をパン、と広げた行幸の様子に、周囲のクラスメイトが驚いているのも気にならなかった。
広げた書類に書いてあったのは、「風紀委員会杯、無差別級トーナメント大会」の文字。
「ああ、それ。おもしろいだろ?」
行幸の狼狽など気にした風もなく、十巴はにっかと笑った。
たしかに、おもしろい。おもしろいには違いない。
十巴といるといつもおもしろいのだが……同時に、こんなに疲れることもなかった。
「く、黒崎、どうかしたのか?」
がっくりと肩を落としたまま固まってしまった行幸を伺うように、おそるおそると近づいてきたのは権田原で、行幸は、その姿に思わず正気を取り戻す。
仮縫いのドレスを着た190センチの大男は、最早仕草もすっかり女性らしく、紙を眺めて、ヤダー、と嬌声をあげた。
「なにこれ、優勝商品はトモエってことー!?」
「トーナメントってことは、誰でも出れるってことよね?でも相手が後輩の女子だったらさ、男子は本気、出せないんじゃない?」
権田原に続いて、わらわらと人垣ができていく。
やじうまの声に、十巴はあわててパンを口に押し込むと、書類をめくって読み上げてみせた。
「だから、男子生徒限定。ただし男だったら誰でもいいし、素手だったら柔道だろうがボクシングだろうがなんでもアリ。で、優勝したら……」
そこまで言って、十巴はうふっと気持ちの悪い笑顔をさせた。
「あたしとキス!」
キャー、と、黄色い声をあげてわいた教室中の盛り上がりとは別に、行幸は本当にもう、反論する気力さえ失った。
こんなおおごとになるくらいなら、昨夜、いくらだってしてやればよかった――。
そう思ったところで、後の祭り、である。



発表された文化祭のプログラム一覧に、様々な意味で校内は騒然となった。
その話題の中心はといえば、どちらも藤篠十巴その人で、女子生徒は彼女が男装してロミオを演じるという話に盛りあがったのだし、男子生徒は、優勝商品はともかくとしてトーナメント戦、という演目に興奮し、鷺ノ宮学園は、いつにない熱気に包まれていた。
生徒の自主性を重んじるという教育方針の鷺ノ宮ゆえにゆるされたことではあったのだろうが、その実、出世競争に忙しい教師達が、めんどくさいことに関わりたくないから口を出さないのだということも、行幸はわかっていた。
おかげさまで、十巴の計画を阻止することもできようがなく、一日一日と近づいてくる文化祭に向けての日々に忙殺されるなかでも、行幸の心は晴れることはない。
「わ、なにこれ」
風紀委員室にいつものように入ってきた十巴の目に飛び込んできたのは、積まれた白い紙たちだった。
それを一枚一枚整理していた風紀委員の女子が、微笑んで十巴を向く。
「応募者殺到、ですよ」
「これ全部、トーナメントの!?」
駆け寄って、十巴は嬉しそうにその紙を手にとった。
風紀委員会主催でのこのイベントは、当日の警備も担当している風紀委員たちからすれば迷惑以外のなにものでもなかったのだが、皆どこか楽しそうに、エントリーされた生徒達の整理をしている。
「ですが、十巴先輩。みんなここに……」
「ん?」
おずおずと、風紀委員の一人、灰谷がエントリー用紙を十巴に差し出す。
そこに書かれていたのは、『優勝商品は辞退します』という一文。
その一枚だけではない。開く紙開く紙に、『優勝しても商品はナシで、腕試しに参加することは可能でしょうか?』だとか、『彼女がいるのでそれは困る』だとか、記してあるのだ。
「なんだそれ!あたしってそんなにダメなのか!?」
憤慨した十巴は、灰谷の襟元をがくがくと揺さぶった。
「ちょっとォ、人のカレシに乱暴しないでくれる?」
「百花」
十巴の手を止めたのは、絶妙のタイミングで風紀委員室に入ってきた妹、百花だった。
どちらかといえば汗くさい類の室内に、静かに花の香りが広がってゆく。
「こうなると思ってたから、なんならモモが優勝商品でもいいよって言おうと思って来たんだけど」
うふっと微笑んで、百花は灰谷の肩に手を置いた。
「だっ、ダメだそんなの!」
唾を飛ばしながら叫んだのは灰谷と十巴が同時で、既にそれを予測していたであろう百花は、満足げに微笑んだ。
無論、十巴が叫んだのはそれでは意味がない、という意味で、灰谷は独占欲と嫉妬心からで。
「やあね、冗談よ。トーナメント戦するってなったら、けが人も出るだろうってことで――ハイ、救急室拡大の申請」
後ろ手に持っていた書類を手渡して、保健委員としての職務を全うした百花の手のひらが、するりと灰谷の顎を撫でていった。
「それにね、モモ、忙しいの。ミス鷺ノ宮三冠がかかってるんだもん」
髪の一束一束まで輝やかせ、首を少し傾げて微笑い、百花はひらひら、と手を振って風紀委員室を出ていった。
うっとりと見送る男子風紀委員を横目に、十巴は眉をひそめる。
「勝つ気だな、あいつ」
「エステとか、通ってるみたいですよ。相当」
そう言って苦く笑った灰谷は、明らかに数ヶ月前、百花とつきあう前よりサイズダウンして、やつれているのが見てとれた。
百花に恋人ができた、という噂は徐々に学園内に広まっていたが、それでもこの灰谷の存在は、百花の勝利にさほど影響しないに違いない。
灰谷という恋人を得て、少し大人びた百花はいっそう、その美しさを増している。
先日など、芸能事務所のスカウトマンらが家の前に順番待ちの列を作り、父親に一蹴されたほどだ。
恋人とはそういうものなんだろうか。恋をすれば女はきれいになる、という話を聞いたこともある。
「トーナメントやめて、あたしもミス鷺ノ宮に……」
「無理です」
きっぱりと言い放ったのは灰谷ではなく、かたわらにいた別の風紀委員の生徒で、続けて彼女は、「仕事、してください」と冷ややかに言った。



一週間後。
文化祭を来週へと控えた生徒集会にて、トーナメント対戦のくじ引きと対戦表が発表され、壇上の十巴が言った言葉に、行幸は卒倒しかけた。
「えー、優勝商品についての希望者があまりに少なかったため……」
低く言った十巴の話に、講堂のあちこちから忍び笑いが起こる。
しかし真実はといえば、十巴の魅力がそんなにも足りない、という話でもないのだった。
純粋に武道を追求したい生徒もいれば、彼女がいる生徒もいたのだし、中には僅かに、男色の生徒もいた。
そしてなにより、十巴に対して憧れている男子生徒でも、行幸と十巴が恋人同士である、という公然の噂を知っていたのだから、遠慮せざるを得なかった――と、こうである。
十巴がトーナメントを発表してからの行幸の不機嫌さも、その噂を真実のものとして、皆に感じさせていた。
十巴は一度、咳払いをした。
「優勝商品は優勝者の意志にまかせるとして、その代わり、あたしも参加するからな!」
一気に講堂が沸いた。
同時に、壇上の隅、パイプ椅子に座って控えていた生徒会長がひっくり返ったことに、よりいっそう、騒ぎが大きくなる。
「か、会長!」
……もう、好きにしてくれ。
この一ヶ月の忙しさとストレスのとどめの十巴の言葉に、行幸は起きあがる気力もなくして、泣き出してしまいたかった。
「風紀委員長!」
講堂で、ぽつぽつと手があがる。マイクを持った生徒が、その生徒のもとへと駆け寄っていく。
「5Aの川上です。風紀委員長が出るとしても、男子生徒はやはり手加減してしまうのではないかと思うんですが、そのあたりはどうお考えでしょうか」
ハキハキと、七三分けのメガネはそう言って、座った。
「まあそのへんは皆思うと思うんだけど、こっちも合気道7段、剣道3段、柔道4段、いい腕試しだ。手加減なんてしやがったらブッ……」
「ハイ、そこまで」
興奮して怒鳴りかかった十巴の手からマイクを取り上げると、行幸が代わって、壇上の中央に立った。
「……という優勝商品では、皆が納得しないでしょうから、私から提案させていただきます」
ちら、と横目で十巴を見やって、座るように指示をする。
十巴はしぶしぶとそれに従い、行幸は改めて、講堂にずらりと揃った全学年生徒を眺めた。
「優勝者には生徒会長権限として、一日生徒会長……つまり、その日一日は、学園内における総ての権利を与えます」
さっきまでのざわめきとは逆に、シン、と講堂中が静まりかえった。
「例えば、同好会から部活動への格上げ、など」
視線を流すように、静まった講堂へと向ける。
トーナメントに参加した生徒のうちの多くは、様々な体育会系の生徒達だ。
生徒数の多いこの鷺ノ宮学園において、よほどの成果でも上げない限り、おいそれと、同好会を部活動に格上げし、部費を支払うことは許可できない。
だからこその今回の晴れ舞台であり、それゆえに参加者が集まったことを、行幸は理解していた。
そしてまた、既に参加者を締め切り、そういった猛者たちが権利を手にしたところで、たいした権限は行使できないに違いなかった。
せいぜい、学食のメニューを変えるだとか。
実際、生徒会長にゆるされている権限など少ないものだ。
「以上、正々堂々と、ベストを尽くしてください」
言い終わるやいなや、唸り声のような歓声に包まれた講堂で、行幸はやれやれ、と首を伸ばした。
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