呉ノ朱

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「してたね。してたしてた」
「………?」
ひそひそと、囁くような声にふりかえれば、自分の視線のずっと下、背中にはりつくようにしている、見慣れた姿の少女。
「千尋、どうしたんだ?ここは高学年の校舎……」
高等部のブレザーではなく、中等部の真新しいセーラーに着られた、千尋……藤篠四姉妹の末妹は、行幸を見上げはしない。
「ミユキちゃん、してたね。トモエとしてたね」
かわりに、手の中の黒いウサギのぬいぐるみをひょこひょこと動かして、芝居のように言った言葉に、行幸は思わずギョッとした。
「してたしてた。キ……っ」
ウサギがうんうん、と頷いたところで、行幸は慌てて千尋の口をふさぐ。と、その小さくて軽い体をひょい、と持ち上げて、周囲に愛想笑いをふりまきながら駆けだした。

「千尋っ、おまえ……見てたのか!?」
「いくら出す?」
昼休みも後半にさしかかり、人がまばらになった購買の片隅で、ウサギのぬいぐるみが、ひょい、と両手を出す。
行幸は、生まれる前から知っていても、未だ得体の知れないこの末妹を、瞳を見開いて一度見つめ、そうして周囲を確認するように見渡した。
財布を取りだし、そうして千円をそっとウサギに渡す。
パペットだろうか、細長い姿をした黒いウサギはそれをパッと取り、そして千尋はセーラーの胸ポケットに札をしまった。
「千尋……おまえ、友達いないだろう」
のばしっぱなしの黒髪を肩下で揺らし、前髪で顔はよく見えない。
去年まで教師をしていた長女の一乃、風紀委員長の次女十巴、そしてミス鷺ノ宮の三女百花、と、鷺ノ宮で有名な藤篠四姉妹であったが、とりわけこの四女は、違った意味で評判を聞く。
ついたアダ名が――"鷺ノ宮の幽霊" おサダ、だ。
有名なホラー映画からつけられたあだならしいが、いくらフェミニストで名高い行幸であっても、それを否定することは難しかった。
千尋は行幸の言葉に、前髪からかろうじてのぞいている口をにっと大きく笑みに歪ませて笑い、そうして彼女にしてはめずらしく、前髪をかきわけてその顔をのぞかせた。
「で、どうだった?よかったんか?え?」
「千尋……」
14歳、という年齢を考えれば、まだ片足を小学生につっこんだ状態のはずが、まるでそのへんのおやじのような下卑た笑いに、行幸はふたたびぐったりと肩を落とす。
前髪をあげて顔を出せば、顔立ちは比較的整っているといえなくもない。
のれんのような前髪の効果か、肌は抜けるように白い。
それが余計に"おばけ"と賞される理由のひとつなのかもしれなかったが。
「……冗談。芝居の練習?でもミユキちゃん、本気だったよね」
「…………!」
ばさりと再び前髪を落として千尋が言った言葉に、行幸はぱくぱくと金魚のように二の句が告げない。
「しちゃえばいいのにさ。告白。しちゃえよしちゃえ。いまさらじゃん」
今度は黒いウサギが、ぱくぱくと目の前で道化のように踊らせた。
「それ、なに?ぬいぐるみ?」
「筆箱」
話を逸らそうと言った言葉に、千尋はウサギの背についたチャックをジイッと下ろし、そうして中に入っていた数本のペン類を取り出すと、くるりと裏返した。
「こっちはウサちゃん、グロばーじょん。リバーシブルね」
「もういい。しまって」
ぐるりとひっくりかえされたウサギのぬいぐるみの裏地は、人体解剖模型よろしく、筋肉の筋や血管がディフォルメされたリバーシブル仕様で、行幸は手をひらひらと振る。
「こわいんだ」
筆箱をもとの黒いウサギに戻しながら、千尋がぽつりと言う。
「トモエのこと好きなくせにさ、友達でいられなくなるのがこわいんだ」
「……千尋」
スカートの上に乗せたペン類も、丁寧に一本一本しまっていく。
「うまくいってもいかなくても、どっちにしろ友達じゃなくなるもんね。こわいよね。こわいこわい」
ぶつぶつと呪文のように言うその言葉は、まさにその通りで……行幸は半ば尊敬のような気持ちをこめて、千尋を見た。
「千尋、おまえどこでそんな勉強したんだ?」
「まんが」
そう言って、千尋はセーラーの上着の下からサッと、ぶ厚い少女漫画雑誌を取りだしてみせた。
「なんでそんなとこに雑誌が……」
「いつ刺されてもいいように」
誰も刺さないだろう!というツッコミを懸命にこらえて、行幸は座り直した。
「……こわいよ、とてもね。千尋が生まれるより前からずっと、一緒だったからね」
誰にも言ったことがなかった気持ちを、いまこんなふうに、妹同然の千尋に話す気になったのは不思議だった。
千尋は顔を上げて、表情は前髪に隠れて見えずとも、行幸の話に耳を傾けてくれている。
「子供の頃は、十巴のが身体も大きくてさ。男も女もなくて、いっつも追いかけてばっかいたからなあ。"好き"があたりまえすぎて、どうしていいか、困る」
行幸は苦笑したが、千尋は笑わなかった。
「やっちゃえよ」
「ち……っ!」
冷静な声に唖然とした行幸の身体を押しとどめたのは、購買に響くチャイムの音だった。
「ミユキちゃんて、頭いいけどバカだね」
千尋が音もなく立ち上がる。 前髪からのぞく唇が、くすりと大人びた笑いを残した。
「ミユキちゃんが男になったなら、トモエだって女になった。なせばなる、なさねばならぬ なにごとも」
ぶつぶつと、呪文めいた言葉を残して千尋は行幸を残し、購買を出ていく。
すれ違う中等部の学ラン姿の男子生徒が、うわっとさけんで避けるのを眺めながら、行幸は一人、呆然と立ち上がることができなかった。



「……権田原、ゴメン」
一方その頃、自習時間の教室でいつものように練習をしていた十巴は、目の前の屈強なジュリエットに頭を下げていた。
「あたし、権田原のこと全然嫌いじゃないっつうかむしろいい友達だと思ってるんだけどさ、やっぱ芝居でもキスはできないよ……」
キョトンとしたジュリエットと、周囲のクラスメイトたちは、瞬間目を見開いて、教室に奇妙な間が生じる。
それはすぐに、大きな笑い声へと変わった。
「バカねー!お芝居なんだから、フリだけでいいのよ、トモエ」
「そんなこと悩んでたのか、藤篠!」
教室を震わせるような笑い声の中、十巴は愕然と立ち尽くした。
すぐに沸き上がってきたのはひとつの感情で、
「あっの……ヤロー!」
腹の底から込み上げた声を残して、台本を叩きつけると教室を飛び出した。


ドタドタと、近づいてくる地響きに、一人、生徒会長室で文化祭関連の書類に目を通していた行幸は顔を上げた。
「行幸ィ!」
もう慣れたことだったが、ドアを開けた十巴がこんなにも怒りを露わにしているのは初めてだった。
……案外遅かったな、気づくの。
そんなことを思いながら、次の言葉を待つ。
「オマエッ、だまし……っ、キッ……」
「芝居のキス、するフリだけでいいって?」
とぎれとぎれにまとまらない彼女の言葉を代弁してやると、十巴がこくこくと大きく頷く。
「で、俺がお前をだましたって?……あのな、早とちりしたのは十巴だろ?人を練習台にしようとしたのも、お前」
あくまで冷静にそう言って、そして書類へと視線を戻した。
文化祭の出し物についての申請認可は、少なくとも今日中には終わらせておきたかった。
視界の隅で、怒りの矛先を失った十巴が、両手両足でじたばたと地団駄を踏むのが見えて、心の中で腹を抱えて笑う。ああ本当に、たまらない。
「あっ、あっ、あたしのキス返せ!」
さあ次に何を言ってくるか、と待ちかまえていた先のその言葉で、行幸はもう、耐えることができなかった。
「あははははははははははは!!」
弾けるように大声で笑い出してから、しまった、と思う。
十巴にしてみれば、一大決心に違いなかったのだ。
強張らせた顔で十巴を向くと、彼女は怒りでか、本当に猿のように顔を真っ赤に染めて、唇を噛みしめている。
「ごめん。けど、あれは練習だろ?……なかったことにしたら」
「できるか!」
なだめるように猫撫で声を出してみても、十巴は拗ねたまま首を振って――しまいには、目さえ潤ませていた。
「……スは……」
「ん?」
ようやく叫び声ではなく、消え入るような声で、うつむいた十巴がぽつりと言った。
「キスは、夕陽の教室か公園でって、決めてたんだからな……」
心底恥ずかしそうにそう言って、十巴は黙ってしまった。
そうだろうな、と、行幸は十巴の言葉に素直に頷く。
多くの人間が彼女の行動や容姿で誤解はするが、本当は彼女だって、高校生の少女らしい夢や憧れを持っているのだ。
誰よりもそのことを知っていたはずなのに、あの夜は、どうしたってそれをこらえることができなかったのだ。
「じゃあ、どうしたらいいのさ?」
ためいき混じりにそう言って、肘をついた手で、髪をかきあげた。
見上げた先で、十巴と視線がかちあう。
彼女はまだ恨めしそうな瞳をして、じっとりと自分を見ていた。
しばらく黙った後、十巴が言った言葉に、行幸は顔を思い切り歪める。
「……やり直せ」
「はあ!?」
予測通りの行動をとるかと思えば、時折、あまりに奇想天外なことをする。それが十巴の魅力でもあったのだが、今回ばかりは行幸は本気で驚愕した。
「やり直すって、キスを?……まさか、夕陽の教室で?」
唖然と口を開けたまま言った行幸に、未だ口をヘの字に曲げている十巴が、涙さえ浮かべてこくりと頷いた。
それを確認すると、行幸はぐったりと椅子にもたれて天井を仰ぐ。
――--神様。
子供の頃、幾度となく呼びかけたその声を、いまはまるで別の意味で心の中で叫ぶようにして、思った。
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