呉ノ朱

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――――-数日後、鷺ノ宮学園を騒然とさせた、一枚の校内新聞があった。


「快挙!新種のケシを開発!! 〜 6-Aの志波明くん 〜

志波 明くん(6-A)が、独立行政法人AFP研究所(以下、AFP)と提携、独自の研究開発により、新種のケシの開発することに成功。
発端は、園芸部の活動の一部として研究したケシ科の植物の栽培結果を、WEB上の情報フォーラムに発表していたところ、その高レベルな成果から、AFPとの提携が実現した。
「まさか高校生とは思ってもみませんでした」と、AFP研究チームの斉藤さん(写真右)は語る。
- 中略 -
研究内容の概略は、「アヘンの原料となるアヘンケシから麻薬成分を取り除き、純粋なモルヒネ成分を発現させる品種改良開発」という、平和を趣旨とした新種のケシの開発であり、既に実現可能なところまで研究は進行している模様。
学園側としても、在籍中の生徒が国の研究機関と提携して研究を行うことは誉であり、学園側としての安全責任を容認した上で、温室を提供。これまでに成果報告を受けていたことを認めた。
今後の彼の活躍が期待される。

※ なお、この新種のケシは、既に関係機関に引き取られており、現在温室で栽培している植物は総てアヘンケシと関わりないものです。
植物に傷をつけるなどの行為を行った生徒に対しては、厳しい処分が下されます。
当面の間、温室ならびに温室周辺は、風紀委員会の管轄下におかれ、厳重に管理されます。








「つっまんねー記事……」
先日発行したばかりの"鷺ノ宮タイムズ"を手に、志波は一人、げんなりと肩を落とした。
反面、やはり明は明だった、という安堵感もあり、それがいっそう、志波の胸を落ち着かないものとさせていた。
事の顛末は、つまりはそういうことだった。


あの日、あの後、千尋はまっすぐに温室へと向かった。
志波は、もちろんこっそりと後をつけた。
温室の外からふたりの会話を完全に聞き取ることはできなかったものの、千尋はどうやら、変装をしていた志波に対して行った大捕り物と同じことを、明に対して行ったようだった。
震える声が、温室のところどころ欠けたガラスの向こうから響いてきていた。
やがて聞こえてきたのは、あまりにお粗末な結末と、明の間の抜けた声と、千尋の笑い声。
その後の学園への問合せ(勿論PTAを装ったに決まっている)、明への詰問、実際の研究機関への確認などを経て――――--結局、あの記事になった、というわけだ。
実際、いわゆるその分野の専門誌には既にそのことについてのインタビュー記事が掲載されており――--まさにぐうの音も出ない、とはこのことだった。
「……めんね…………配して……たんだ」
ガラスの向こうから聞こえてくる明の声は優しくて、志波は、千尋がいま、どんな心地でいるのかを無言のままに悟る。
そうしてそこを離れようとした耳に、千尋の声が微かに届いた。
「…………めて会っ……から、先輩が、好……した」
温室の煤けたガラスに背をもたれかけさせて、志波はただ、耳を澄ました。


そうして、ほんの少しの時間を置いて――――温室から出てきたのは、おサダ、ただ一人。
「よう」
「………………」
志波の姿に驚くそぶりもない、なんでいるの、聞いていたの、という問いかけもない。
千尋はただまっすぐ、志波の前へと来て、志波を見ることなくうつむいたまま立ち止まった。
「ねえ、志波」
「ん?」
千尋の声が、いつもとはまるきり違う、か細く弱いものだったので、答えた志波の喉から、あまりにも優しい音が出た。
そのことに志波自身驚きを感じながら、だが、悪い気分ではなかった。
「私のこと、好きだって言ってたね、昨日」
「ああ」
腕組みをしたまま、壁にもたれたまま、志波は即答する。
千尋は志波の前に立ち止まったまま、うつむいている。前髪に隠れて、横顔すら覗くことができない。
それでも、彼女がいまどんな顔をさせているか、志波にはもう、察することができた。
「……もう一回だけね、言って。私のことが、好きだって」
千尋の唇が、ためらうように二度、閉じては開く。
「うそで、いいから、私のこと好きって……言って」
声はか細く、消え入ってしまいそうだつた。
六月のじっとりした空気が、彼女の黒い髪を濡らしている。
「…………俺は明じゃねーぞ。それでもいいのか?」
千尋は一度、こくりと頷いて、そうして志波を振り返った。
その、見上げてくる視線があまりに真剣だったから、志波は悟ることができた。
千尋がいま、何がほしいのか。
「いい。言って。私のこと好きだって、一番大切だって、ずっと一緒に……っ、いる、って!」
赤い瞳から、ぼろぼろと滴が落ちる。
千尋が最後まで言い切る前に、もう、抱き寄せていた。
「おまえが、一番好きだ。大切だ」
真摯な声で言った志波の手のひらが、千尋の肩を抱いて引き寄せた。
千尋はおとなしくそれにしたがって肩を震わせて――--そしてついには、志波の肩口に顔を押し当てるようにして、泣いた。
肩口から、小さな嗚咽がもれて聞こえる。
胸が痛かった。
――――千尋が志波に、明の代わりを求めたわけではないことを、志波は悟っていた。
同時に、明に対して望んだ"好き"を志波に求めたわけでもないことも。
志波の「好き」を、どういう意味で千尋がとらえているのか、志波にはわからない。
志波自身も、千尋に対しての「好き」が、どういう名前で呼ぶべきものなのかわからない。
――――それでも、おサダが泣くから。
どうしようもなく強く、どうしようもなくか弱い肩は、志波の手のひらですっかり包めてしまうほどに小さい。
おサダは、声を出さずに泣いた。
嗚咽をもらすこともなく、ただ微弱な振動だけが胸に伝わる。そのおサダと呼ばれる彼女の孤独に、志波の喉は詰まった。
泣き出しそうな六月の空の色は、志波のいまの気分によく合っていた。
「………ありがと」
しばらくの沈黙のあと、落ち着きを取り戻したらしい千尋が、ようやく志波の肩口から顔を起こす。
まだ鼻水をたらしたままの、ぐしゃぐしゃにした顔で、それでも元の彼女の表情に戻っていた。
「もう、大丈夫」
手の甲で、鼻水と涙を拭いて、薄く微笑んだ千尋の顔は、もう志波のよく知るおサダのそれで。
口端を、にい、と不気味に上げて笑うのだ。
志波は、それがたまらなく好きだ、と、思った。






――――――--それから、おサダがこの部室に来ることはない。






校内でも、学食でも千尋の姿を見かけることがなくなって、もう数日が経っていた。
机の上のモニターには、「鷺宮の」の文字のまま、一向に進まない原稿だけが残されている。
カーテンが揺れて、窓の外からからりとした風が差し込んでくる。
梅雨が明けて、緑はますます濃くなるだろう。
その温室に、千尋はもういないのか。


そんなふに、もう来ないかもしれない彼女の姿を、いつもの窓辺にぼんやりと思ったときだった。
「久しぶり」
バサリ、と、聞きなれた、歴史年表が捲られる音。
だが、そこに立っていたのは見慣れない一人の少女。 額をあらわにするほどの、黒髪の短いショートヘア。
それでもどことなく女性的なのは、その肌がはっとするほど白いからだろう。
決して美人ではないけれど、どこか人目を留める雰囲気を持った彼女は、眉をひそめた志波をちらりと見ただけで、そのまま室内へと入り、そうして――--窓枠に手をかけるように、床に腰掛けた。
「お…サダ!? おまえっ、髪!」
「切った」
唖然とした志波とは対照的に、あくまでも平然とそう言い放ち、彼女はごそごそと、周囲を見渡しては何かを探す。
そうして見つけたのは、片隅に転がっていた双眼鏡。
容姿は変わっても、その姿はあまりにも以前の彼女のままで。
「おまっ、解決したんじゃねーのかよ!」
全力のつっこみを入れた志波に、千尋は表情を変えることなく、ちろりと視線を投げて、
「これは、趣味」
と、言い切った。
無論、双眼鏡の向く先は、今日も明がいるであろう、温室である。
お前、だってあのときフラれたんだろ!?……という喉元まで出かかった言葉を、志波は飲み込んで、苦虫を噛み潰したような顔をして、デスクのチェアに再び腰を落とす。
すっきりとした横顔のラインは、いつかのデートを思い起こさせて、志波をどことなく落ち着かない心地にさせた。
「なんで髪切った?」
「………………」
千尋は少し黙って、一度理由を探すように小首をかしげる。
そうして、志波を見ないままに言った。
「友達を……作ろうと思って」
「ふん」
失恋したから、という回答ではないことに、志波はいっそう憮然とする。
彼女の横顔を見れば、彼女の恋がまだ死んではいないのだと、明らかに見てとれた。
「ぜーんぜん、似合わねえ!」
「ありがとう」
志波の言葉などまるきり気にしない、と言いたげに、ごく自然に千尋は答える。
そんなところは相変わらずな彼女のままだったが、それもまた、おもしろくなかった。
「それに……こないだも。ありがとね」
ぽつりと付け加えるように言われた言葉に、瞬間、何のことだかわからず、志波は怪訝な顔をさせた。
千尋の横顔に、今日初めて人間らしい表情が浮かぶ。
このあいだの抱きしめた一件なのだと、その表情で悟った。
「悪かったな、明じゃなくて」
ふてくされたように言えば、千尋は明らかにキョトンとして、ようやく志波を向いてみせた。
「明先輩の、かわりなんて思ったことないよ」
そう言って、微かに目尻を下げる。
彼女の表情がいちいち伝わることが、志波の心地を落ち着かなくさせる。
「ただ……あのときは、誰かに言ってもらいたくて」
「誰でもよかったのか」
不機嫌を隠さずに言えば、また千尋はキョトンと目を開いて、そうして……微笑った。
「ううん」
花がひらくように、笑顔になる。
「あんたがよかった。……志波で、よかった」
ほころびるような、やわらかい笑顔。
瞬間、志波の心臓が一度、どくりと鳴って、どんな表情をしていいかさえ忘れた。
「ふ、ふん……」
二度、三度、頷いてみせる。
千尋はまたすぐに、双眼鏡へと戻っていった。
その仕草がもはや志波にとってはあまりにも日常的に慣れたもので、これまでどおりの空気に戻りはじめた頃、志波は跳ねるように顔を上げる。
「ってことは、おまえ相変わらずストーカーか!? 」
「? うん」
さも当然といいたげに、千尋は頷く。
――――人間、本当の本質の部分は、変化することはないのだろうか。
「だって、明とは……」
ふられたんだろう?終わったんだろう?
そう口に出すのはさすがに憚られて、ただ視線を送る。
それに気づいてか気づいていないのか、千尋はちろりと志波を見た。
「だから言ったじゃん。これは趣味」
返す言葉をなくして、志波は肩の力をぐったりと抜いた。
反面、緩む口元を隠す。
この窓辺に千尋の姿がなかったこの日々は、たまらなく退屈だったからだ。
「――--で、どこまで記事にするの」
「へ!?」
唐突に、こちらを見ることなく投げかけられた質問に、緩みかけていた口元を引き締めて志波は千尋を向く。
千尋の横顔、口端が、いじわる気ににやりとゆがんだ。
「"今日暴かれる!!鷺ノ宮の幽霊、おサダの素顔!"」
「なっ……! 知ってたのか!?」
信じられない単語が、その当の本人の口から出てきたことに、志波は思わず椅子から身を乗り出す。
「とっくに知ってるよ」
どこか得意げに千尋は言って、ふふん、と鼻を鳴らした。
――――どこまでも、彼女にはかないそうにない。
「…………するよ。いずれ、そのうち」
「ふうん」
横顔は、ただ頷いただけ。 いいのか?と聞くまでもなかった。
きっと彼女はいつもの表情で、――-どうでもいいよ、と答えるのだろう。

窓から差し込む風が、もう夏の匂いをさせ始めていた。
いつか、記事に書くときが来るかもしれない。
"今日暴かれる!!鷺ノ宮の幽霊、おサダの素顔!"
けれど、きっとそのときにはもう――――-鷺ノ宮の幽霊なんていなくなっているのかもしれない、と、志波は千尋の涼しげな横顔を見やる。
眩しかった。
短くなった髪に縁取られた横顔は凜として、彼女によく似合っていた。
――――なんとなくくやしいから、言ってなんかやらないけど。
「なに?」
「なにが?」
志波の視線に気づいたらしい千尋が、ちろりと横目で志波を睨みつける。
志波もまた、肩をすくめて、とぼけたふりをさせた。
「気が散る」
唇を突き出してみせたあと、ふと、これまで見せたことがない表情をした。
なにかを懐かしむような、遠くを見るような、そんな表情。
「いつもそうして見てたよね」
さわ、と窓の外の木々が揺れた。
千尋からまっすぐにのばされた視線を、志波はそのまま受け取る。
そうして、に、と笑ってみせた。
「おまえのことが好きだからな」
どこか得意げに志波は笑った。
千尋の瞳が一度、大きく、大きく見開かれる。
ああ、いつか書くかもしれないあの記事の締めは、こんな一文でもいいかもしれない、と志波は思う。

――――そして俺は、おサダの、もう隠せなくなった視線が狼狽するのを、あらわになった頬が赤く染まるのを、ただ笑って、見た。

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