呉ノ朱

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  四.  

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「まあアレかね、志波くん。私でナニをナニしたりしたのかね、あれから」
「……そういうのって、セクハラだと思います」
翌日の、新聞部室。
ウキウキしながらいつもの部室へとやってきた千尋とは裏腹に、志波は昨夜、ろくすっぽ眠ることができなかった。
千尋特有の、不思議な節回しで早口で続けられる言葉を無視して、志波は次号の原稿をカタカタとキーボードに打ち続ける。
ふと、千尋を伺うようにして見れば、彼女はボロボロになったソファーに寝転がって、週刊誌を見ている始末。
なにひとつ、これまでと変わりはないのだ。
「……いつから、気づいてた?」
「何が?志波が明先輩のフリして一生懸命朝から調子合わせてデートしてくれてたこと?そりゃ最初っから気づくさ」
週刊誌から視線を外すことなく、千尋が答える。
よくよく見れば、袋とじまで丁寧に破いて、志波ですら人前では憚られるようなキワドイグラビア写真をしげしげと眺めているのだった。
「だって、志波が協力してくれるわけないじゃあないか。おもしろがってたんだろ?え?どうなのさ」
「……すみませんでした」
どうしてこんなにも彼女に対して立場が弱くなっているんだろう、と思えば、ふつふつと、苛立ちが温度を上げ沸いてくる。
視界の隅に入る窓から、温室が見下ろせた。人影はなかったが、今日も彼はそこにいるのだろう。
「そういえばさ。……あいつは知らないんだよな、こういうおまえ」
「こういうも何も、私は普段から……」
独り言のように言った言葉に、思わずひらめいた啓示のような考え。
やっぱり、昨日の自分はどうかしていたのだ。
あんなまがいものの純真さに惑わされて、すっかり毒されてしまっていた。
「姉貴の写真を売り飛ばしたり、ましてや"恐怖新聞"の片棒を担いだりしてる、おまえなんて」
「………………」
千尋は答えない。グラビアのページもまた、さっきから止まってしまっていた。
――――--形勢逆転、というところだろうか。
「おまえ、本当は、本当に明が来ると思ってたんじゃないのか?」
千尋は、微動だにしなかった。
「だからあんなふうに可愛い格好してさ。……なあ、そうなんだろう」
千尋はぷいっとでも効果音がつきそうな仕草で、こちらに表情がわからない、横向きの姿に身体を転がしてしまった。
志波は立ち上がり、ソファーの背もたれに手をかける。
週刊誌で顔を隠すようにしているせいで、表情はうかがえない。
「……悪かったよ。からかって」
これは、本音だった。
千尋は答えない。ページをめくる音も、聞こえない。
「………………」
志波は無言のまま、パソコンのディスプレイをわざと、千尋が見える角度へと動かす。
クリックは二度。エンターキーを叩く。
『あの……先輩。手、つないでも……いいです、か?』
その映像が再生されるが早いか、千尋が起き上がるのが早いか。
キーボード目がけて勢いよく体を起こした千尋の頭を、まるでコントのように志波は制止した。
「こんときも、演技だった?」
「………………!」
じたばた、という擬音がとてもよく似合う、身長差でそれ以上前に進めない千尋が両手を必死に動かす姿は実に、おもしろい。
――――-ああ、やっぱり俺は、悪役が向いている。
昨日とは違って、スダレ前髪で表情はわからない。
けれど 口元はへの字にかみ締められていて、おそらく、顔は真っ赤に、紅潮している。
「演技だったんなら、恥ずかしくないだろ?いいじゃん、検証させてくれよ。騙された身としてはさ」
「いーやーだ――――!」
地獄から響いてきそうな声に若干ぞっとしながらも、暴れる千尋を必死にとり抑える。
胸ポケットに仕込んでいたカメラの映像は、はにかんで微笑う昨日の彼女を鮮明に映してくれていた。
……目の前のこの乱暴なサルのような彼女とは、まるで別人の彼女を。
「痛てっ!!」
手に激痛が走って、思わず腕を振り上げる。
さっきまで千尋の肩を取り押さえていた手の甲に、しっかりと残された歯型を見て、噛まれたのだと理解する。
これじゃほんとうに、サルだ。
乱暴な仕草でムービーを止めて、その背でパソコンを守りながら、千尋は志波を、睨みつけていた。
暴れたせいであらわになった素顔が、その耳が、赤く染まっていた。
「やっぱり本気だったわけね」
志波はようやく、肩から力を抜いた。
ああ、コイツはやっぱり、信じていたんだ。
俺にからかわれているという予感も確かに察知しながら、疑いながら、それでもきっと、信じていたんだ。
毒気が抜かれた気分になって、背後のソファに座り込んだ。
「なあ……聞かせてくれよ。そんなにわかりやすかったのか?自分で言うのもなんだが……そっくりだったと思うぞ」
というのも、これまでにも試したことがあったのだ。
都合が悪くなると、明のフリをして切り抜ける。そしてまた、それを見抜けた人間は、母親を除いては他には誰も、いなかった。
「帰る前。海岸通り」
しばらくの沈黙の後、千尋の唇が開いた。
昨日くちづけた唇だ、と、柄にもなくそんなことを思って、ドキリとした。
「明先輩は……あんなふうに、私を見ない」
その声が、どうしてだかひどく寂しげに聞こえて、志波は思わず眉をひそめる。
千尋が、まるでごく普通の女の子に見えて、なんとなく、言葉を返すことができなかった。
昨日の、かわいらしく過ごしていた彼女よりもずっと、普通の少女に見えたのだ。
「………そっか」
人には誰しも、欲というものが、ある。
例えば志波だったなら、カワイイ女の子とやりたい、だとかいう、18歳の男子高校生にしてみればごくごくあたりまえの欲望だったりするのだけれど、この、ふたつ年下の彼女の欲は多分、まるきり違うのだ。
「私は、よくばりだと思う」
うつむいたままの千尋が、いつもとは少し違う口調で、ぽつりと言う。
「私のこと見えるんだ、って、びっくりした。最初。……見られることに慣れたら、次は、振り向いてほしくなる」
「普通だろ、そんなこと」
どうしてだかはわからない。わからなかったけれど、千尋が"見えるんだ"という表現をとったことに、志波の喉がつまる。
同時に、ごく普通の、あたりまえの言葉が、こんなふうに切なく響くことが、なんだかとても、居心地が悪かった。
2ヵ月という、時間のせいだろうか。
たまにギョッとすることがあっても、気色悪い、と心底思ったとしても――---俺は、多分、おサダと"普通"に接している数少ない人間、に違いなかった。
「おまえはここにいるんだし――--見えるのも会話するのも、フツウ。好きなヤツに好きになってほしいって思うのだって、みんなみんな、そうなんじゃねえの」
どうしてこんなに苛立つのか、わからなかった。
おサダ、幽霊、なんて呼ばれて。皆に避けられて。多分、友達と呼べる人間もいないんじゃないかと思えるこの下級生。
不気味で、生意気で、何を考えているかわからない。
おまけに、誰にどう思われたって多分本気でどうってことないこんなにも屈強な精神をもつ彼女の肩が、いまはなんだかとてもちっぽけに見えるなんて…………どうにかしてやりたいだなんて、どうして俺が、思わなくちゃならないんだ!
「協力、してやろうか」
乱れた前髪の隙間からのぞく千尋の瞳が大きく、そう、ちょうど昨日、キスをした後のように見開かれたのがわかる。
「…………いくら?」
「金じゃねーよ!」
訝しげに変わった表情に、苛立ちをぶつけるように怒鳴った。
再びまんまるく見開かれた目を、じっと見据える。
この感情は、なんなのだろう。
志波の頭の中からは、きれいさっぱり、"今日暴かれる!!鷺ノ宮の幽霊、おサダの素顔!"のことは、忘れ去られていた。


少なくとも、今だけは。
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