呉ノ朱

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  三.  

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デートを、こんなに楽しみにしたことなんて、いままでなかったのかもしれない。
もっともその理由は、いままでとは全然、ちがった類のものではあったのだけれど。
腕時計をちらりと見て、時間を確認する。
10時55分。――--約束の、5分前。
指定したコインロッカー前に、まだおサダの姿は見えず、どうしてか、待ちわびる胸はドキドキと、まるで初恋でもしているかのような錯覚に陥りそうだ。
11時。――――姿はまだ、見えない。
11時10分。――――まさか、来ないんじゃないだろうな?
11時2…………。いい加減、そわそわと周囲を見渡して、目が合った人間が、いた。
黒髪を上手に編み上げて、やわらかそうな素材のワンピース。決してわかりやすい美人というわけではないが、いまどきめずらしいような、まるで清純なイメージ。
可愛らしい印象をさせたその少女は、志波の姿を見つけて、確かに微笑んだ。
「先輩」
その声を聞いても、志波はそれが誰だか、まだわからずにいた。
おそらく怪訝な顔をしていたであろう志波のところに駆け寄って、彼女はもう一度、にっこりと微笑む。
――---可愛かった。
「ごめんなさい、見つけられなくて」
「?」
――――---こんな子、知らねえぞ。ナンパした記憶も、ない。
さらに怪訝な顔をしかけて、今日は自分が"いつもの自分ではない"ことを忘れかける。
「あの、私、です。…………千尋、です、けど……」
「え」
思わず、声が出た。
よほど、間抜けな顔をしていたのだろう。瞬間的に表情を曇らせて、不安げな顔をさせた”自称・藤篠千尋”は、覗き込むようにして、志波を見あげた。
「ヘン、でしたか……?」
「い!いや! び、びっくりして」
ほんとうに、びっくりしていた。
あの、俺のよく知るおサダは、もしかしたら幻だったのだろうか?
それとも、こっちの彼女が幻か?
すっかり混乱した頭の中で、ようやくハッと、思い出したことがある。今日、決して忘れてはいけないこと。
――――――--俺はいま、アキラ、なのだ。
「ごめんね、普段とは印象が違うから、わからなくて。……すごく、かわいいよ」
これはほとんど本音だったのだが、それでも声のトーンを上げて、至極やわらかく、微笑んでみせた。
おサダ――――藤篠千尋もまた、はにかんだように微笑む。

誰だ、これは。

「ど、どこに行こうか。急に今日の話、聞かされて……なんにも、考えてなかったから」
しどろもどろになりかけながら、練り上げた台本の通りの言葉を続ける。
もしもこれが志波自身のデートであったなら、そんなことは決して言わず、夜まで持ち込むための完璧なプランで振り回すところだったが、なにしろいま自分は、明なのだ。
きっとデートなんかしたことがないだろう、明のことだ。何にも考えないに違いなかった。
藤篠千尋は、少し小首をかしげた。
肩口まであった黒髪を、きれいに編んで、耳の後ろでゆるく留めている。真っ白なうなじがのぞいて、すこしだけ、ゾクリとする。
何より、彼女の顔がこんなふうにきちんと表に出ていることが、奇跡的だった。
思っていたよりも睫毛が長い。
一重だと思っていた瞳は実は奥二重だったのか、瞬きをするたびに、淡いピンクのアイシャドウがのぞく。
――――---化粧、してやがる、コイツ。
しかも、限りなく素顔に見える、相当高度なテクニックだぞ、これ。
「植物園……が、いいです」
「植物園……」
オウム返しに彼女の言葉を繰り返して、慌てて打ち消した。
本物の"明"ならいざ知らず、"本当は透"であるところの自分は、植物のことなどからきしだ。
「あ、植物園、は、改装中、らしいよ」
「そう、ですか」
困ったな、といった様子で、藤篠千尋が見つめ返してきた。
「じゃあ、図書館、とか……」
――――---小学生か!!
イヤ、今日び、小学生ですら、デートといえばカラオケだの下手すりゃマンガ喫茶だのでイチャイチャ始めるもんなんじゃないだろうか。
思わず心の中でツッコミを入れながら、結局、うまくやり過ごせそうな映画館を選択した。
そうして、並んで歩き出す。
…………何を話していいか、わからない。
歩き出した反動で、志波の手の甲と、彼女の手の甲とが触れ合った。
反射的に見れば、藤篠千尋は瞬間で頬を赤らめて…………。

誰だ、これは。

もしかして、コイツはいつも、アイツの前ではこんな表情を、こんな態度を見せていたのか?
他のどんな生徒にも見せずに? 幽霊だ、バケモノだ、と噂されながら?
胸が、ざわざわと落ち着かない。
本来なら今日は、壮大な "藤篠千尋ドッキリ撮影計画" のハズだったのに。
いつもなら、断りもせず少し強引に、しかし軽く、手をつなぐ場面だった。
それでも、おそらく明はそんなことはしないだろうし、だから手をつなぐことはしなかった。
なのに。
「あの……先輩。手、つないでも……いいです、か?」

誰だ、これは。

こんなふうにはにかむヤツを、俺は知らない。断じて、知らない。お目にかかったことがない。
「う、うん」
やめてくれ。俺まで照れてしまうじゃあないか。
おずおずと、伸ばされてくる手のひらは小さくて、ひんやりとした指が、そっと、志波の小指のあたりに触れた。
また、ゾクリとした。
思わず強く、その手をつかむようにして握る。
汗ばんでいるのが自分の手のひらだとわかって、はずかしくてたまらなくなってしまった。

――――---誰か、教えてほしい。

なんで俺は、いま、藤篠千尋の、よりによってあのおサダの、手をつないだだけで、勃起、しているんでしょうか。

「さて、どれにしようか。千尋ちゃんは普段、どんな映画見るの?」
あくまで"明"らしく、練習しつくした表情で、メガネの奥から微笑む。
はにかんだ表情の、千尋が小首をかしげる。
「ラブストーリー、とか?」
――――---嘘つくな。
おまえが無類のホラー好きだってことを、俺はよく知っているんだ。
そして、語尾に"?"をつけるんじゃあない。
「そっか、じゃあ、ちょうどよかった」
心の中の声を必死に笑顔でかみ殺しながら、ちょうど上演時間が近かった、話題のラブストーリーの券を二枚、購入した。

薄暗がりの、日曜とはいえ混んではいない映画館。
ところどころ、映画そっちのけでイチャついているカップルも見受けられる。
ちらりと、隣の千尋の横顔を見やれば、真剣そのもので画面に見入っていて。
普段はこんなふうにきちんと眺めることのできない、あらわになった横顔が、新鮮だった。
不意に、視線に気づいたのだろう、千尋がちらりと志波を見た。
目があった。
まるでそのことに照れたように一度、千尋がはにかんで、笑う。
……その笑顔のおかげで、映画の内容なんてまるで覚えていやしなかった。

「千尋ちゃん、普段からそうしていればいいのに」
ランチタイムの混雑したカフェで一息ついた安堵感のせいか、思わず口をついて出た言葉に、すぐさま、しまった、と思った。
明なら、言わなかったかもしれない言葉だっただろう。
志波の予感が的中したのか、千尋は瞬間不思議そうな顔をさせて、けれどやわらかく表情を戻す。
「が、頑張った……んです。お姉ちゃんに、手伝って……もらって。だから、普段は……」
どもりながら真っ赤な顔をうつむかせて、ストローをもてあそびながら言った。
お姉ちゃん、というのは消去法で考えて、おそらく藤篠百花、その人だろう。
――――-おまえ、確かその"お姉ちゃん"の着替え写真、俺に二束三文で売らなかったか?
学園中の男子生徒の心を濡れ手に粟でわしづかみにし続けている、その"お姉ちゃん"のテクニック、そう考えるとすんなりとこの豹変ぶりも、得心できる。
「頑張った……って、もしかして、デート、のため?」
ウエイトレスが運んできたスパゲティにフォークを絡ませながら、覗き込むようにして見る。
あんまり直視すると、心臓に悪かった。
千尋の、マスカラできれいにカールされた睫毛に縁取られた目が、一度大きく開く。
そして、チークのせいではなく、ほんのりと紅潮した頬がゆるんで、微笑んだ。
「はい……!」
花が開くようだった。
……普段は、ラフレシアかウツボカズラか、という様相のはずが。
思わず何も言えなくなって、食べることに集中する。
みるみるうちに、目の前のスパゲティは胃の中へと収まっていき――---ふと、顔を上げて千尋を見た志波は、叫びそうになった。
――――「人食い!」と。
もしも今日の藤篠千尋その人が、いつもの彼女の姿でいたなら、絶対にきっと、叫んでいた。
「ち、千尋ちゃん、ついてる……よ」
「?」
千尋の唇のまわり、顎にまで、赤いトマトソースがベタベタとまとわりついて、そのときの表情ばかりは、いつもの見慣れた彼女そのもので、志波は思わず、笑い出してしまった。
「口元。……ほら」
安堵、したのだ。あまりにいつもの彼女と同じ表情で。
千尋は温室で食べることもあるが、気が向いたときは、あの秘密の部屋でランチをすることもあったし、時に学食で見かけることもあった。
パスタを食べることが苦手な様子なのに、ミートソースやらトマトソースやらを好んで食べるらしい彼女は、よくこんなふうに口元をぐちゃぐちゃに汚して、学食に居合わせてしまった不幸な生徒たちにスプラッタ映画の1シーンを思い出させては、幸福なはずのランチタイムを恐怖のどん底に叩き落していた。
志波はそれを見るのがどうにも楽しく、最近など、ついつい千尋が学食にいないか確認してから、昼食をとるようにしているほどで…………。
…………ん?
「す、すみません!もう大丈夫です。自分でできますからっ」
ナプキンで口元を拭っていた志波の手が急に止まり、代わりに千尋が自分のナプキンで口元を拭い始める。
「う、ん」
なんとなく、いま、いやなことに思い当たりそうになって、あわてて思考を止めた。
デザートは、シフォンケーキ。



ただ並んで歩いているだけなのに、千尋は随分と、楽しそうだった。
隣を歩いている人間が、"志波 透"ではなく、"志波 明"だからだ。
特に会話をするわけでもなかった。それでも、千尋がこんなによく笑うのだということを、志波は初めて、知った。
…………明には、いつもこんな表情をさせているのか。
奇妙な気分だった。
明は多分、彼女のダークサイドを知らない。今日の彼女の様子を見ていてもわかるとおり、きっと彼女は、明の前でそんなところを見せたりはしない。
けれどその反面、志波もこんな彼女を、知らなかった。
朝、何時に起きたんだろうか。
"がんばって"化粧して。髪を結い上げてもらって。
ホントはホラー映画が大好きなクセに、ラブストーリーなんか見やがって。
食べ物を前に油断したのか、人間の本能には抗えなかったのか、ランチタイムだけ本性をあらわしやがって。
笑って笑って笑って。もうそろそろ、頬の筋肉が痛いハズだ。普段"にやり"としか笑わないんだから。

――――--なんで、明は。
なんで明は、コイツにこんな表情をさせられる?

ちくりと、胸が苦しくなる。俗に言う、良心という部分だろうか。
「千尋、ちゃん」
志波の声に、千尋は立ち止まった。
ロケーションは海岸沿いのレンガ道。空はほどよく茜がかって、等間隔に並んだベンチにはつがいが点々と、ああ、なんていい雰囲気。
――――-ウッソでーす!ごめんピョーン!!……とバラすには、あまりにも、空が美しすぎた。
「先輩?」
言葉に詰まって、二の句が告げなくなった志波を、心配げに覗き込む。
小柄な彼女と、どちらかといえば長身の部類に入る、志波。
このまま屈めば、キスをするにはちょうどいいポジション。
「あのさ……俺……」
何を、言おうとしてるんだろう。
今日はドッキリ企画のハズで、シャツの胸ポケットには、わざわざ仕込んだ超小型カメラが、小型ピンマイクが、朝からずっと回り続けているというのに。
「俺…………」
「あのっ、先輩」
口を開きかけた志波の言葉を奪うように、おサダがめずらしく、大きな声をあげた。
茜の太陽が彼女の白い額を染めて、紅潮しているのか、日差しのせいなのか、もうわからない。
「私、先輩に……言いたいことが、あって……」
おサダの喉が、ごくりと鳴る。おそらくとても早く鳴っているだろう心臓の音まで、聞こえてきそうで……志波は耳をふさぎたくなってしまった。
――――---告白、する気だ。
「ちょっ……待って、千尋ちゃ……」
志波は慌てて、千尋の肩をつかみかけた。
言うな、と、本当は手のひらでその口を覆ってしまいたい。
それを聞くのは、俺の役目じゃない。
俺に、それを言っちゃいけない。
…………これは、罰、なんだろうか。退屈しのぎにと、彼女の気持ちで遊ぼうとした、俺の。
まさか自分がこんなにも誠実な人間だったとは思いもよらず、けれどそれが相手が藤篠千尋ゆえのことなのか、もうそんなことを考える思考の隙間も、残っていなかった。
「先輩、私……先輩のことが……っ!」
どうして、そんなことをしてしまったのか……自分でも、よくわからなかった。
極限状態におかれた自分が何をするのか、予想ができる人間など、いるのだろうか。
あろうことか俺は、おサダに、あのおサダに……キスを、したのだ。
「!」
「あっ、あの……っ、あの」
唇を重ねたのは、一瞬。
まるで大人が子供を抱きかかえるような形で、奪った唇の感触なんか、覚えていやしない。
瞬間で離れた千尋の表情は、普段見ることがなかったそのふたつの瞳がこぼれ落ちんばかりに見開かれていて。
それでも狼狽しているのは、どう見たって俺の方で。
言い訳だ。言い訳を考えろ。
命令が頭の中をぐるぐると回っているのに、頭の中は豆腐のように、それはもう真っ白だ。
それでも正気に戻ったのは、次の瞬間の、藤篠千尋の表情の、せいだった。
にい、と、笑ったのだ。
ようく見慣れた、唇がななめにゆがむ、おサダ特有の、おサダたる所以の、不気味な笑顔。
「…………楽しかったかい、志波」
聞き間違いかと、思った。
「へ……?」
くつくつと、千尋の肩が揺れる。
まるでその背から、どす黒いオーラでもわきあがってきそうなほどに、くつくつと、ホラー映画のワンシーンのように、彼女が笑う。
……哂う、の方が表現として、正しい。
「キース、しちゃった。キスしちゃった。志波センパイとキスしちゃった」
さっきまで、あんなにも愛らしかった彼女は、夢だったのか。
前髪は上げていても、化粧は施されていても、よく見知った、"おサダ"がそこに立っていた。
「バカだね。気づかないと思ったんだね。わかるよ。わかるったら」
「おまえ……まさか……」
ゆっくりと、頭が回転を始める。
目の前の千尋は、しかし、今日見たどんな瞬間の彼女よりも生き生きと、楽しそうに微笑んで、ぴたりと真顔に戻った。
「デートは、楽しかったですか」
「気づいてたのか!」
抑揚のない、冷静な千尋の声と、志波の叫び声。
――――---だまされたのは、ドッキリさせられたのは、俺の方。
志波はもう、頭を抱えて、うずくまってしまった。
その肩を、ぽんぽんと、小さな手がたたく。慰めるように。
「まあさ、犬にでも噛まれたと思ってさ。忘れたらいいよ」
「キス……しちゃった……」
本当はこの構図、まったく逆だったはずだった。
セリフだって、本当はまったく逆のはずで。
――――---なんなんだろう、この女。
――――――――――--なんなんだろう!この女!
泣き出したいような、奇妙な気持ちのまま、志波はまるでいじめられた子供のように膝を抱えている。公衆の面前で。
「ドッキリね。したかったのね。残念ね。まあ努力は認めるよ。そう落ち込むなよ」
「……おまえなんか嫌いだ」
うきうきと弾みだしそうな声の千尋とは裏腹に、涙さえ浮かべそうな志波は、しばらくそのまま、立ち上がることもできなかった。

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