呉ノ朱

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「放課後の、逢引き、どうだった?」
「あいびき?ハンバーグ?」
お昼どきの学食の隅。彼女を避けるようにぐるりと空いた、千尋の定位置らしきその目前に、志波が座ったというそれだけで、学食内は一瞬、ざわめいた。
千尋は、誰にも渡さないぞーといった類のオーラを発するように抱え込んだどんぶりから、ちらりと視線を志波へと向ける。
といっても、前髪に隠れてかすかにしか彼女の目は見えないので、なんとなくそういう気がする、というだけに違いなかった。
「デート。してただろ。昨日。温室…………でっ!?」
突如、志波の顔に、しぶきがかかった。カツオの芳しい出汁の匂い。
志波は生まれて初めて、人の鼻からうどんが吹き出る瞬間を、見た。
「ななななんの証拠がああああって、そそそんな」
カタカタと、どんぶりが鳴る。
あれまあわかりやすいことで……なんて、昨日の今日で、もう志波が思うはずもない。
「演技すんな」
「うん」
従順に頷いて、けれどその箸がかすかに震えているのを、志波は見逃さなかった。
いまのは彼女なりのポーズなのだろう。
ああやって大げさにしてみせて、冗談だ、なんて言えば、たいていのことは誤魔化されてしまう。
それが、真実であったとしても。
――――--ていうかオマエ、鼻から出したうどんまで食べるのか?……うん、そうか。
「だからなんですか。脅す気ですか。ちひろこわあい。お金なんてないので、身体で払いまあす」
千尋は、見事な棒読みで言った。
お前の身体なんかいるか!!と、心の叫び声を懸命にこらえながら、少し意地悪げに、その切れ長の瞳を歪ませた。
「で、ダレの家が園芸屋、だって?」
「!」
その箸がとうとう、止まった。


話はつい、昨日の放課後にさかのぼる。


「なんだ、透じゃないか。めずらしいなあ、こんなとこで会うなんて」
昨日の放課後。千尋が温室を出て行くのを待って、志波は"彼"をつかまえた。
人畜無害そうなのんびりした顔。おっとりした口調。友達にしたいタイプとはいえない。が、とりあえず彼は志波を嫌ってはいないようだった。
――---そもそも、こいつが誰かを嫌うことなんて、まず、ありえないんだけどさ。
そんなことを思いながら、ぐるりと温室を見渡す。
最高学年を示す、青いネクタイまで土で汚した彼は、エプロンを丁寧に畳んだ。
「さっきここに、女子、来てただろ」
「ああ、千尋ちゃん?」
――---千尋、ちゃん????
彼女をそんなふうに呼ぶ人間には初めてお目にかかったので、志波は思わず目を見開く。
「あいつ、いつからここに?ていうかつきあってんの?」
「つきあって……どうなんだろう。僕は千尋ちゃん、好きだけれど、そういうこと言われたりは、してないなあ」
いま、凄い単語が聞こえた気がした。
微笑み続けているのか、それとも元々こういう顔なのか。
本気で言ってるのか、それとも天然か。
まったく読めない微笑で、手のひらを払った彼は、すっと温室内のバラを指さした。
「お家が園芸屋さん、なんだって。で、廃棄処分になる苗がもったいないからって、時々持ってきてくれて。……二ヶ月くらい前、からかなあ」
「…………へえ」
志波はもう、いちいち反論する気もしなかった。
藤篠、という名前が学園の理事名簿に載っていることは、一部の生徒ならば知っている。
ちょっと思いついて調べれば、すぐにでもわかることだ。
「それより、何で透が千尋ちゃんのこと聞いたりするんだ?………もしかして 」
「んなわけないだろう!」
温室のガラスがびりびりと鳴るほどに声を上げた志波に対して、明はちらりと彼を見るだけにとどめ、そうして少し、瞳を細めた。
「………なんだ、ライバルかと、思ったのに」
そう言って微笑んだ彼に、志波は心底唖然として、何も言えなくなってしまった。
その顔があまりにおかしかったのだろうか。
「あはは、冗談、だよ」
くつくつと声を立てて笑い出してしまった彼を睨む気力もなくして、志波は背を向けた。
ああやっぱり、俺はどうもこいつと仲良くなれそうにない。
それでも、おサダが――――藤篠千尋がこの男を好きだ、ということ。
それは志波にとって、とてつもなく有効な切り札に違いなかった。


そんなわけで。


「俺もね、ちょっとした、知り合いなわけだ。あいつとは」
「……何が言いたいのさ?」
トン、と空になったどんぶりを置いた千尋の声は低く、ああこれはいよいよ本気だな、と、胸が躍る。
志波は立ち上がり、彼女の背後へとまわった。
おそらくいま、学食中の視線は志波と千尋に釘付けだ。
それはそれで、どうにか転んだらおもしろいことになるかもしれない、と、思った。
「好きだって、言ってたぜ、あいつ。おまえのこと」
余程、驚いたのだろう。
まるで俊敏な猫のように飛び上がった千尋の腕をつかんで、引き寄せる。
こんなふうにして女を引き寄せることには、慣れていた。
「まーまー、顔赤くしちゃってサ。なんだよ、告白もしてなかったわけだ?」
「!」
鼻先のあたりまで前髪で覆われた彼女の顔色は、実のところあまりよくわからなかったのだが、志波のカンは外れてはいないらしい。
「な、な、な」
じたばたと、文字通り慌てふためく千尋の姿に苦笑しながら、さて、どういうラインで攻めていこうか、と考える。
「……好きなんだろう、あいつのこと」
低く、囁くようにして言う。
志波の言葉にさらに動揺しきった姿を見れば、答えなど明確だった。
ぺろりと一度、舌で下唇をなめて、再び千尋の肩に手を置くと……囁くようにして言った。
「デートとか、してみたくない?」
「デッ……!」
千尋が思い切り、振り返る。
その反動で髪がゆれて、かすかにその素顔をのぞかせる。
この学園においては、四姉妹それぞれ有名な(千尋に限っては、"あるイミ"という注釈がつくにせよ)彼女らの中でも、ひときわの有名人、藤篠百花。
その可憐な容姿を、残念ながら妹であるはずのこの藤篠千尋は、受け継がなかった、ようだ。
そんなことを思っているうちに、千尋が急に、もじもじとはじらってみせる。
…………改めて言おう。気色が悪い。
「今週の日曜、11時!」
ピシャリといえば、猫背だった千尋の背筋がピシリと伸びた。
「駅前の、コインロッカーのところで待ってろ!ちゃんとめかしこんで来いよ!ハイ、解散!」
「え!」
早口で言って、その背中をドン、と押す。
おろおろと周囲を見渡し、尚もこちらに視線を注ぐ千尋を、まるで猫の子でも追い払うかのようにシッシッ、と手で追いやると、彼女はようやく、またいつもの猫背でとぼとぼと学食を出ていって……消えた。
――――-勿論、親切心なんか、カケラもなかった。
これは相当、とびきりの記事になりそうだ――――そんな予感に胸弾ませながら、慎重に周囲を見渡し、志波もまた、置かれたままの食器を持ち上げた。
「トーオールーくんっ!」
「わっ」
突然に腕を組まれ、瞬間的に甘い香りが漂った。
確か、あのブランドの新作。ということはこの腕の主は…………。
「サオリちゃん」
「ふふ。一緒に教室戻ろっ」
どうやら、彼女は志波と千尋の対話(といえるのかどうか?)を、見てはいなかったようで。
他の生徒ならともかく、この彼女に見られていたならちょっとばかりややこしかったかもな、と、安堵する。
「あれ?何で食器二人分あるの?……もしかして、他の女の子と食べたんでしょ。浮気もの」
まるで怒った様子でもなく、悪戯に笑いながらぎゅう、と絡まる、柔らかい二の腕。かすかにあたるCカップのふくよかな胸。鼻腔をくすぐる、甘い香水の香り。
やはり女の子とは、かくあるべき――---そう、心から思う。
ふと、腕を組んだサオリが、視線を止めた。
「あれって……明センパイ、だよね?」
「ああ」
視線の先にいたのは、あの、藤篠千尋が熱を上げている相手。
そして、その明の視線の先には……千尋が、いた。
「わ、あの子って……ええと、サダコ?だっけ?変わってるよねえ……」
明が笑顔で、何かを話しかけている。声はここからでは雑踏に混ざって、聞こえない。
明を目の前に、千尋はうつむいたり、顔を上げたりを繰り返して……微笑んだ。
志波はちょっとばかり、驚いた。
前髪で隠れて見えないはずの瞳が、その表情が、まるでやわらかくほどけたように感じられたからだ。
「ね、ね、まさかあの二人って……」
「そういうわけじゃないみたいだけどな」
目にかからない程度の髪、野暮ったいメガネ、ところどころ土のついたシャツの、ぱっとしない男子生徒。
――――おサダの恋の相手が、よりにもよって、あいつとは。
彼女とこの温室で、逢瀬を重ねるあの男子生徒を、志波は知りすぎるほどよく、知っていた。
どちらかといえば色素の薄い髪と肌。人懐っこい笑顔と、あまりにも毒気のない容姿と性格……。
その背中をじっと見送っていたサオリが、くすりと笑った。
「よおっく見たら顔立ちはそっくりなのに……全然似てないよねえ、明センパイとトオルくんて」
志波もまた、その言葉に思わずにやっとする。
「双子なのに、って?」
「うん」
サオリはそうして、少し艶めいた瞳をさせた。
「トオルくんのが、全っ然カッコイイもん」
――――-当然だ。 
満足のいく答えに、志波もまた、志波よりもたかだか数分早く生まれた"彼"の背中を見やった。
本来は親ですらなかなか見分けられない似通ったこの容姿を、ここまで差別化させるのってなかなか苦労がいるもんなんだぜ、と。
「なんか透くん、嬉しそう」
「ちょっとね」
藤篠千尋は、気づいているのだろうか。
志波とヤツとが、ほぼ同じ遺伝子を持った人間だなんていうことに。
……その答えがわかるのは、多分、そう遠い未来ではないはずで。
その日を思えば思うほど、胸は躍ってしかたがなかった。

まるで、恋でもしているかのように。
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