呉ノ朱

小説一覧 作品紹介 よくあるご質問 他サイトへのリンク 御感想はこちらへ 文字サイズ 大 中 小



 
  五.  

人物紹介・作品解説へ
 

風呂から上がって、蛍を落ち着かせるために古蝶はココアを入れた。
蛍はそれを受け取ると、手の中でその温もりをじんわりと感じる。
「こんなに目を腫らさせて、ママに怒られちゃうわ」
古蝶は煙草に火をつけると、眉を上げて笑ってみせた。
だが蛍は首を振り、赤くなった目を真っ直ぐに古蝶に向ける。
「古蝶さんのせいじゃ、ないですから」
蛍は微笑んでみせる。その笑みは穏やかだったが、それだけに古蝶の胸が痛む。
この子は、こうして総てを赦してきたのだろうか。
「だって、私があんたに変なことしたせいで……」
「ち、違います!そうじゃないんです!」
蛍はカタン、とココアをテーブルに置いた。そして自分が興奮したことに恥じたように、一度呼吸をして、古蝶を見る。
「古蝶さんに触られて、本当に気持ちよくて……ただ辛いだけ、怖いだけじゃないんだって、わかったから」
「……そっか」
古蝶は微笑んで、蛍の頭を撫でてやる。庇護欲か、はたまた男の自分にもオカマとして過ごすうちに母性本能が芽生えたのかはわからない。
だが蛍が、愛おしかった。
「そろそろ、寝る?」
「あ、はい」
蛍は頷くと、古蝶の寝室の隣、自分にと与えられた何もない空き部屋へ向かおうとした。
「まだ布団届いてないんだから、そっちで寝るのは無理でしょ。いらっしゃい」
「は、はい」
蛍を顎で促し、自分の寝室へと呼んだ。不意に、ベッドが気になる。蛍はベッドは要らないと言っていたが、あれは遠慮ではなく、過去の経験の恐怖からではないか、と。
「一緒に、寝る?それとも一人で寝る?」
「一緒が……いいです」
蛍にここを貸して、自分だけソファーで眠っても良かったのだが、蛍は古蝶と一緒にいることを望んだ。
古蝶は布団の端を持ち、ずるずると床に布団ごと引きずり落とした。
寝室の床は絨毯だ。多少身体はつらいかもしれないが、蛍を怖がらせるよりはましだろう。
「さ、できた」
シーツと布団を整えて、どうにか二人で寝られるようにする。
蛍は古蝶を見上げ、少しはにかむと布団に入る。
「誰かと一緒にこうして寝るの……初めてです」
「厭じゃない?」
古蝶も蛍の隣に身体を滑らせる。もう蛍に対して、性欲はなくなっていた。随分と久しぶりに自分の懐にやすやすと飛び込まれたから、油断していたのかもしれない。そう思って、隣の蛍を見る。
蛍は、まだ赤さの残る目で古蝶を見ていた。そっとその瞳が細められる。
「……古蝶さんは、どうして私を助けてくれたんですか?」
「どうしてって……」
古蝶は言葉に詰まった。そうして少し考える。……蛍の姿が、昔の自分と被って見えたからかもしれない、と。
「私、古蝶さんを見た時、なんて綺麗な人なんだろうって……。友達に古蝶さんに少し似てるすごく綺麗な子がいたんですけど、その子よりずっと綺麗で……」
珍しく蛍は饒舌だ。古蝶は苦笑する。
「いまはスッピンよ?男にしか見えないと思うけど」
元々女っぽい顔立ちとはいえ、整形をしているわけでも性転換したわけでもない。時折、ホルモン剤を打つことがあるくらいの、26の男の素顔だ。
蛍は微笑んで、薄く目を閉じた。
「それでも……綺麗です……」
すうっと蛍が眠りに落ちてゆく。昨夜は自分を一晩中看病してくれていた。疲れているに違いない。
胡蝶は枕元に手を伸ばすと、ライトを消した。
隣から聞こえてくる蛍の穏やかな寝息に誘われるように、古蝶も瞳を綴じた。




一日ぶりの店に出てみれば、案の定、古蝶はママからキツい叱りを受けた。同僚のホステスたちも皆古蝶を鬼のように決めつけてかかる。
「アンタがキッツイこと言って泣かせたんでしょぉ!?んもー。その性格直さないとお嫁に行けないわよっ!」
「大きなお世話よ!」
モンシロに小突かれて、古蝶は眉を寄せて睨んでみせる。
蛍を見やると、蛍はそんな古蝶に申し訳なさそうに軽く御辞儀をした。
と、机の上に置かれたままだった古蝶の携帯電話が鳴っている。
――葛城からだ。
「もしもし。……葛城さんがお電話くださるなんて……明日は雪かしら?」
『ははは。古蝶が望むなら、降らせてやろうか?』
電話の向こうで低く笑う声に、この男ならやりかねないと思いながら笑顔を作る。
『なあ古蝶。お前とのつきあいももう2年だ』
「そうね。……本当に葛城さんには色々とお世話になりました」
古蝶は頭を下げる。金銭的な意味でも肉体的な意味でも、葛城には確かに随分と世話になった。良くも悪くも。
『――そろそろな、お前を自由にしてやってもいいと、思ってるんだ』
低い声で葛城が囁く声に、古蝶は目を見開く。彼が自分を抱くことに飽いていたことは気づいていたが、まさかそんな言葉を聞く日が来るとは夢にも思っていなかった。
今日、マンションに来なさい。それで最後にしよう』
「…………ええ。貴方がそう言うなら」
抑えた声を出しながら、しおらしく頷いてみせるが、内心は踊り出しそうだった。
やっとだ。やっとこの怪物から楽になれる。古蝶は口元に笑みが昇りそうになるのを必死に堪えて、電話を切った。




古蝶はエレベーターのボタンを押す。
このマンションに足を運ぶのが、これで最後かと思うと、一昨日葛城から受けたばかりの背中の傷も少しも痛まない。
だが不意に、これからの自分に不安がよぎる。
元々今の店に入り、オカマと呼ばれる姿になったのは葛城から逃げるためだった。だがこれからは?
その答えが見つかる前に、エレベーターは目的の階についてしまった。
赤い絨毯の敷き詰められた廊下はハイヒールが沈む。初めは信じられないほど歩きづらかったハイヒールも、4年の間にすっかり自分の身体になじんだ。
豪奢なドアの覗き窓から古蝶が確認され、厚い扉が開けられる。
ツカツカと中に入り部屋の廊下を進む。今目の前にあるのは、葛城の部屋へと続く金色に光るドアノブ。ここにはどれほどの自分の手垢がついているだろう。
古蝶は一度息を吐き出すと、そのドアノブをまわした。
「待っていたよ、古蝶」
葛城はソファーでいつものように黒い喪服のようなスーツ姿でワインを楽しんでいる。古蝶はとびきりの笑顔を作ってみせて、葛城に近寄った。
「君も一杯、どうだ?」
「いただきます」
コートを脱ぎソファーに座る。そうして視線を上げて、古蝶は凍り付いた。
視線の先には、いつもは区切られている隣の部屋とのカーテンがあるはずだった。だが今日は、そのカーテンが開け放たれ、そこには……蛍が、いた。
「ほた……る……!」
「美しいだろう?まるで展翅した蝶のようだ」
葛城は笑ってみせる。その言葉通り、蛍の身体は麻縄で天井から吊され、M字の形に大きく足を左右に開かれている。何か薬でも盛られたのか、ぐったりと意識をなくしていた。
古蝶は立ち上がって蛍の元へ駆け寄ろうとする。その手首を、葛城は掴んだ。
「おっと。彼女はお前のかわりだ。お前を自由にするかわりに、今度は彼女を……ということだからな」
葛城は古蝶と蛍を交互に見た。古蝶は唇を噛みしめる。
狡猾なこの男が楽に古蝶を自由にしてくれるはずなどなかったのだ。だが、まさか蛍を、とは予想もしていなかった。
蛍を先に帰したのが間違いだったのだろうか。古蝶は蛍の姿を見つめた。
「どうした?何もためらうことはないはずだが?悪い条件ではないだろう」
「くっ……」
葛城の言う言葉は最もかもしれない。蛍とは知り合ってたった数日、それもたまたま助けただけのよく知りもしない少女なのだ。ここで見捨てて、葛城と完全に縁を切ることができるのなら……。
そう瞬間的に思って、古蝶はすぐにその考えを打ち消す。
蛍が古蝶と出会ってさえいなければ、少なくとも今、こんなふうに葛城の毒牙にかかることはなかったはずだ。
ましてや蛍にはあんな辛い過去がある。それなのに、再びそれを思い起こさせるようなこんな真似をされて、目が覚めたら蛍の衝撃は計り知れない。
「さあ古蝶、どうする?」
葛城がせせら笑って、ワインをもう一口、口に含んだ時だった。
「う……ん……」
蛍がゆっくりと目を開く。ぼんやりとした表情で、まだ自分がどういう状況にあるのか気づいていない。
「蛍……!」
「え……?古蝶さ……」
真っ先に古蝶に気づくと、蛍はハッとして眼下に視線を落とした。蛍の表情がゆっくりと歪む。ひっと小さく叫んだ。当然だろう。
「ど、どうして……!!」
「違うの、蛍、落ち着いて!」
蛍は歪んだ表情のまま、葛城と古蝶を交互に見る。腕と足をもがいて、必死に自分を拘束している縄から逃れようとするが、そんなことができるはずもない。
「いや、いやあ……っ」
「久しぶりだなあ、蛍?」
葛城はゆっくりした仕草で蛍に近づいていく。古蝶は葛城の言葉に耳を疑った。
「お、義父、さ……ん!どうして……!?」
「その呼び方はやめろと教えたはずだが」
葛城の骨張った手が、蛍の薄い胸を撫でた。蛍が恐怖でいっそう顔を青くする。
古蝶は愕然とした。蛍が言っていた、義理の父親が、葛城。
「会いたかったぞ?まさかこんなところで感動の再会を果たせるとは思ってもみなかったが」
「どうして……」
蛍はいっそう混乱しているようだった。無理もない。目覚めれば逃げた筈の義父の手の中に戻っていて、しかも古蝶まで目の前にいる。
古蝶にこんな恥ずかしい姿を見られて。
縋るように古蝶を見た。古蝶は握りしめた拳に力を込める。
「蛍を……放してやってください、葛城さん」
そう言った古蝶の声は男のそれだった。葛城が目を細めて意外そうな声をあげる。
「おや。いいのか、せっかくのチャンスだぞ?お前が嫌々私に抱かれているのは知っていたんだ。それが良かったんだが……ようやく逃げられるっていうのに」
「なら俺は喜んであなたに抱かれます。だからもう蛍を……自由にしてやってください……!」
自分はこの男に抱かれることにはもう慣れた。だが蛍は。今度こそ、蛍は立ち直れないほどに壊されてしまうだろう。
「元々これは私の女だ。取引にもならんな」
「義理とはいえ、娘でしょう!」
葛城は興味を削がれたように鼻で笑って、ソファーへと戻ってきた。ドサ、と力任せに身体を沈ませると、空になったグラスにワインを注ぎ直す。
「この少年でも少女でもないような身体、顔立ち……美しいとは思わないか、古蝶。まるで羽化する寸前の蝶のようだ。私はこの女を手に入れるために、これの母親に近づいたんだよ」
「……そ、んな……!」
声をあげたのは吊られたままの蛍だった。
古蝶は一度目をかたく瞑る。母親を失った再婚相手の義父が可哀想だ、と言った蛍の優しさが、硝子のように砕け散るように思えてたまらなくなる。
ともすればおかしくなったというのも演技で、蛍の母親の死さえも総て葛城の計略ではないかと思える。この男はそういう男だ。
古蝶の中でふつふつと沸き上がる感情があった。
ぎしぎしと縄が揺れて、蛍は目を見開いたまま、呆然と葛城を見ていた。
「葛城、テメエ……!」
奥歯を軋むほど噛みしめて葛城を睨みつけると、意外だというように葛城は笑った。
「ほう?その表情、まるで4年前のお前のようじゃないか古蝶。そんなに蛍が大切か?」
問われて、言葉に詰まる。いま古蝶の中を駆けめぐっている怒りは、激情は、蛍のためのものだった。
蛍を傷つけ、犯してきたこの男が許せない。殺意さえ吹き出すほどに古蝶は激昂していた。
葛城は見透かしたように古蝶を眺めて、少し目を細める。
そうしてにいと笑った。悪魔の笑みが口元を歪ませる。
「古蝶。お前、いまここで蛍を犯せ」
「なっ……!?」
古蝶は意外な言葉に眉を顰めた。葛城が顎で蛍を指す。
「助けたいんだろう?男としてのお前が蛍を犯して、もし蛍が絶頂することができれば、お前達を自由にしてやろうと言ってるんだ」
古蝶は葛城を見た。この男は決して信用に値する人間ではなかったが、約束だけはどんなことでも守った。その一点においては、信用できる。
「だが、蛍の身体にはじっくりと陵辱の恐怖を教え込んである。もう一度男に犯されるとなれば……壊れてしまうかもなあ?」

「くっ……」
古蝶は直感した。
この男は真性のサディストなのだ。恐らくここで古蝶と蛍の二人を殺すことも容易い。だが蛍にとって、そして古蝶にとって何が一番苦しむことなのか総て解って、こんな条件を出したのだ。
古蝶は蛍に近寄る。いくら三点で固定されて身体の負担が軽減されているとはいえ、長時間宙づりになっているのは蛍にとっても辛いはずだ。
「蛍……」
「私は……平気ですから、古蝶さんだけでも……逃げて……」
蛍には今の一部始終の話は聞こえてはいなかった。
何も知らない蛍は健気にも必死に笑顔を作ろうとするが、できない。身体がカタカタと小刻みに震えている。
こんな状態で、いつもの女言葉の自分ならともかく、男としてなど抱けるだろうか、と古蝶は思った。
「古蝶、化粧をおとして来い」
葛城がぴしゃりと言った。
古蝶は一度蛍を見つめて頷くと、洗面所へと向かった。

前頁へ 次頁へ
  このページのトップへ
小説一覧へ
   
     
サイトマップ サイト概要 お問い合わせ  
Copyright(c)2004 - Kurenoaka. All Rights Reserved.