呉ノ朱

小説一覧 作品紹介 よくあるご質問 他サイトへのリンク 御感想はこちらへ 文字サイズ 大 中 小



 
  三.  

人物紹介・作品解説へ
 

目が覚めてまず古蝶は、自分が全裸のまま、ソファーに横たわっていたことに驚いた。酒に酔って、そのまま寝てしまったのだろう。
重く気だるい身体をゆっくりと起こすと、身体の上に毛布がかけられている。
自分は、一人暮らしのはずだ。
このマンションを用意してくれたパトロンは、合い鍵を持ってはいない。
誰が……?
そう思い、頭を上げた先に、見慣れない顔が飛び込んできた。
「おはようございます!」
元気の良い、明るいトーンが二日酔いの頭に響く。
古蝶は一度瞠目すると、ゆっくりと昨夜のことを思い出した。
血の気がさっと引く。
どうして自分は全裸でいるのか、ソファーで寝てしまったのか。
断片にしろ、うっすらと蘇る記憶があった。
「蛍……、あの、あたし、昨夜……」
「あ、ええと……」
強ばった表情のまま、前を隠すようにしてローブをまといながら見やった蛍の顔が紅潮した。
「あのっ、気にしないでください! 初めてでは、ないので……」
「えっ!?」
がばっと起きあがると、蛍は照れたようにキッチンへと入っていく。
意外だった。何も知らない、純情な田舎娘だとばかり思っていた。そして何よりも意外だったのは、まだ自分に男の部分が残っていたということだ。
思わず古蝶は、ガウンの下の自分のモノを覗き込むようにして見た。
「古蝶さん、朝ご飯、作ったのでよかったら」
「う、うん。ありがと……。先にシャワー浴びてくるわ」
さっとガウンの裾を元に戻して、呆然とした気持ちのまま、バスルームに向かう。
時計は昼の12時をまわっていたが、古蝶たち、夜の人間にとっては今が朝だ。


少し熱めのシャワーを頭から浴びる。
朝の自然現象で固くなった自分自身に触れると、昨夜の名残らしいぱりぱりと乾いて付着したままだった澱が流れて行った。
「信じられないわ……」
一人で呟く。
古蝶は、実は元からこの道に望んで入ったわけではなかった。
元々は水商売のボーイや用心棒を転々としていた。
ある日、客と店の諍いに巻き込まれて、命まで危うい程のトラブルを起こし、ボロ雑巾のようになっていたところを、拾ってくれたのは今の店のママだった。
初めはしばらく身を隠すためだけのつもりだった。今更、カタギの商売になどつけるはずもない。
幸い、骨格が細く、顔立ちも昔から女性のようだった古蝶は、化粧と服、カツラで、少し背が高く体格が良いものの、驚くほど女に化けた。
初めて見る自分の女装姿は、快感だった。
むしろ男としての自分よりもこの姿の方が、本来の自分の姿なのではないかと思えるほどに。
裏声を使って女の声を出すことにもすぐに慣れた。
そしてあの店は、いままで人の温かさなど感じたこともなかった古蝶には、染みるほどに暖かかった。 暖かさを知り、礼儀を知り、恩を知り――そうやって2年が過ぎた頃、一見で店にやってきたのは、この街を仕切ると言っても過言ではない男。
いつか、自分の命をやすやすと奪えてしまえた男だった。
美しいものは好きだ、と、その男は言った。死にたくなければ私の愛人になれと、にわかには信じ難い脅迫。だが彼は、古蝶にこのマンションを与え、今や一番の上客だ。
「4年、か……」
4年。4年で自分は随分と変わったように思う。
女として、新たな生を受けて生まれ変わった。そう思えるほどに。この4年間、勿論自分が望んでではないにしろ、男に抱かれることはあっても、女を抱いたことなどなかった。このまま自分は一生女として生きていくのだと、確信していた。
「まだ使えるなんて」
酒に酔っていた。疲れていた。そして蛍が少年のようだったこともあるのかもしれない。それでも一度熱く蘇った、男としての自分という炎は、なかなか消えてはくれなかった。



「あのね……酔ってたのよ」
朝食の並べられたテーブルにつくなり、言い訳を始めた古蝶に、 向かいに腰掛けた蛍は一度目を見開いて、微笑んだ。
「いいんです、本当に気にしないでください。それに……」
「それに?」
蛍が箸を止めて、口ごもる。頬が淡く紅潮していた。
「男の人も、あれも……ずっと苦手だと、思ってたんですけど……気持ち、良かった……です」
「…………」
消え入るような声でそう言った蛍に、古蝶は何も言い返すことができない。
一度咳払いをして、きっと顔をあげた。
「とにかく! もう今後、こういうことはない……ようにするから! ありえないのよ!!いいわね!?」
「はい。ほんとに、大丈夫です」
ふふ、と声を立てて蛍は笑う。つかみどころのない子だと、古蝶は思った。
不意に、思い至ったことがある。
「あのね……あたし、昨日、避妊とか……」
しなかったはずだ。あんな泥酔した状態で、避妊などできる筈がない。
恐る恐る覗き込んだ蛍の顔は、けれど笑顔のままだった。
「ええと、それも大丈夫です。薬、飲んでるので」
「……あんたって、どういう子なの……!?」
古蝶は混乱した。
昨日、援助交際すら知らなかったこの子が、よもや処女ではなく、そして避妊薬まで飲んでいるとは想像すらできない。
けれど眉を顰めた古蝶に、蛍は笑んだままだった。




「はい。じゃあまず順を追って説明するわね」
「よろしくお願いします」
カウンターの中で、ママのてほどきを受けながら、はきはきとした声を店内に響かせる蛍を、古蝶は心配気に見やった。
「ねえ、蛍ちゃん、ああして髪オールバックにして、スーツ着せるとほんと素敵ねェ」
ルリが、自慢の長い巻き髪についたカーラーを外しながら、うっとりと蛍を眺める。背丈も170程度だろうか、女にしたら長身で、きりりとした整った中世的な顔立ちが、スーツによく映える。
古蝶は生返事を返して、まだ視線を留めたままだった。
「蛍ちゃんが男だったらなア。優しく筆下ろししてあげるのに」
ハァ、と心底残念そうな溜息を吐く。
そう、ここにいるのは心は女、神様の悪戯でうっかり男の身体をもって生まれてしまったという者だけなのだ。
アンタじゃ無理よ、と軽口で返してみても、古蝶の心は重かった。
筆下ろしどころか……。
昨夜のことを思い返すと、頭を掻きむしりたくなる。
「ホラァ、早く支度しないともう開店ヨォ」
隣のボックス席から、モンシロがダミ声を張り上げた。蛍はこちらを振り向きもせずに、懸命に何かをメモしている。
――ええい、忘れてしまおう。どうせもう二度とないことだ。
古蝶は一度頭を振ると、口紅をひきなおした。


「いらっしゃぁい。アラッ、葛城さん。古蝶でいい?」
「ああ」
カランカランと鳴るドアに現れたのは、40歳手前といった程の男。黒いコートを肩にかけ、いかにも、という雰囲気を漂わせている。連れているのはボディーガードという名の、自分の部下だ。
古蝶は最上級の笑顔を作って、葛城のコートを受け取る。
「この店に来るなんて珍しいのね」
「たまたま近くで取引があってな。……いつものを」
低い声がそう言って、葛城はソファーへと腰掛けた。
この男が古蝶のパトロン……この界隈ではその名前を聞くだけで震え上がる者が多いという程の夜の権力者だ。
撫でつけた髪と少しこけた頬。美醜で言えば、決して悪くはない。だが、その性格は冷淡にして残忍。とてもではないが愛せない。
ふと、葛城が首をひねって背後のカウンターの蛍へと目を留める。
蛍は古蝶や葛城に目を向けることもなく、覚えたての仕事にただただ必死なようだった。
「……おや? 新しいボーイを雇ったのか」
「ええ。臨時だから、そんなに長くはいないと思うけど」
葛城にとって、女でも男でも、そしてニューハーフでも何ら変わりはない。自分以外にも愛人は何人も持っている。彼の食指がひとたび動けば、逆らえる者などまずいない。
古蝶が言った言葉は、せめて葛城に興味を抱かせないための牽制だったのだが、葛城は別 段蛍に興味を持った様子もなく、ふむ、と言っただけに留めた。
と、葛城のスーツから携帯電話の音が鳴り、表示をちらりと見た彼は立ち上がる。
「来たばかりですまんが、仕事だ。」
「あらァ残念」
しなだれてみせながら、内心、この鬼畜が、と毒づいてみせる。
すっと、葛城の手が赤いナイトドレスのスリットから滑り込む。
舐めるように腿を撫でながら、耳元に口を寄せた。
「そう寂しがることもない。……後で部屋へ来るように」
「もう。調子いいんだから」
低く囁いて、葛城は立ち上がる。彼はいつも短時間しか、この店にいない。
けれども古蝶がナンバーワンでいられるのは、彼がこの店に落とす金額が莫大だからだ。
本来ならばそのせいで売り上げの上がらない他のホステスの反感を買うのだが、葛城はホステスたちへも別 に小遣いを用意していた。
つくづく、隙のない男なのだ。
「じゃ、後で」
「ええ。楽しみにしてる」
それは嘘だ。本当は腹の中で唾を吐きかけている。
ドアを締めて店内を振り向くと、カウンターの中の蛍と目が合った。
蛍はまた一度、淡く微笑んで、グラスを拭きに視線を移した。




「いたたた……」
玄関のドアを開けたところで、古蝶は倒れ込むように壁にもたれた。
葛城と会った夜は、いつもこうだ。
「あの野郎……いつかブッ殺してやる」
思わず口を出たのは口汚い言葉で。だが実際はそんなことができるはずもない。
このマンションも、豪華な衣類も、古蝶の持っているものの殆どは、葛城から贈られたものだ。それだけではなく、彼に逆らえば命さえも危うい。
呟いたその時、リビングに続くドアがそっと開いた。
「古蝶さん、おかえりなさい」
「蛍!?寝てなさいって言ったで……痛っ!!」
少し目を赤くした蛍が、昨日と同じジャージ姿であらわれた。
声を張り上げたところで、身体につけられた傷がひきつった。
「どこか痛いんですか? 手、貸してください」
「ありがと」
蛍に寄りかかるようにしながら、寝室へとよろよろと歩き、そのままうつぶせでベッドへと倒れ込んだ。
「蛍ぅ、コート脱がせて……」
「はい」
もう起きあがる力もない。蛍は慎重に古蝶の腕から、毛皮のコートを脱がせた。
と、ドレスよりも赤い傷が、あらわになった背中に残っている。
「古蝶さん、これ……!」
「ん?ああ。今日、店に来た客いたでしょ?……あ、覚えてないか。その男がね、私のパトロンなの。で、ヤツの趣味がこういうのなのよ。ホンッといい趣味!」
憎々しく顔を歪めて、古蝶は枕を一度叩く。
そう。葛城はもう古蝶を抱かない。そのかわりに、自分の嗜虐嗜好を存分に古蝶に注ぐ。生粋のサディストだ。人間をモノとして見ているのかもしれない。
古蝶の背には、葛城の残した傷がもう消えない痕として残っていた。
「いま、薬持ってきます」
「キッチンの棚の上にあるから……」
呻くように言って、蛍がいてくれることに内心感謝する。
いつもはこのまま翌日の昼まで寝る。そして行きつけの病院に一人で行くのだが、今日は蛍がいた。
誰かと暮らす---しかもこんな大人しそうな女など、お荷物なだけかと思っていたが、しかし蛍は良く働いた。
「んっ……!!」
「染みますか? 少し、我慢してくださいね」
蛍の指が、背中に軟膏を塗りながらゆっくりと撫でる。
傷は鞭痕だけだ。そこまで皮膚は裂けてはいないだろうが、決まって発熱する。それが辛かった。
「明日はお店、休みなんですってね。ゆっくり寝ててくださいね」
「ありがと……」
蛍の体温は低い。その冷たい手が、今は心地よかった。
とろとろと、穏やかな眠気が襲ってくる。
そのまま古蝶は夢も見ない深い眠りの中へ落ちていった。




「蛍、ほたるってば」
「あ……」
起きてみると、ベッドサイドにもたれるように蛍が眠っていた。
いつもなら朝起きると引きつるように痛む背中も、昨晩の蛍の処置が良かったのだろう、淡い疼きがあるだけだ。
「こんなところで寝たら風邪ひくでしょ」
「あ、はい。すみません……」
まだ寝ぼけたような顔のまま、蛍が顔を上げた。手には濡れタオルが握られている。
「あんた、まさか一晩中……?」
「はい。熱が高くなって、心配だったので……」
照れたように笑う。
いい子だ。自分はただ、街で拾ってやっただけのことなのに。
古蝶は少し言葉に詰まって、ありがと、と気まずそうに言った。
「もう、何ともないですか?」
「うん。あんたのおかげよ。なんか御礼、しなくちゃね」
立ち上がり、ドレスを脱ぐ。蛍が思わず背を向けた。
「なによ、女同士じゃないの。いいのよ照れなくても」
「でも、身体は男の人です……」
蛍は立ち上がると、パタパタとバスルームの方へと向かった。
古蝶は苦笑する。
「ほんとに……変な子ねえ」
純朴で何もかも経験がないように思えて、性に対してはある程度の知識や経験はあるらしい。
ぼんやりとした記憶だが、あの夜、自分を受け入れた蛍の中は、とても純朴な彼女のそこからは想像できない程、こなれていた。
「あ」
そんなことを思い出したからだろうか。
明らかに、朝勃ちではない状態に股間が盛りあがる。こんなことは、ありえないはずだった。
だが、古蝶は首を振った。ありえない。自分が今更女に、しかもあんな子供に欲情するなど。
着替えて出ていくと、蛍が古蝶の姿に目を見開いて驚いてみせる。
「古蝶さん、どうしたんですか!? 男の人みたいな格好して」
「御礼するって言ったでしょ。あんたの部屋、準備しなきゃ」
男物のジーンズに、タートルのセーター。そして上着を羽織り、ノーメイクで髪を団子状に後ろでひとつにまとめた古蝶は、中世的ながらも男に見える。モデルか美容師、はたまたバンドマンだと言えば、きっと誰もが夜の顔などとうてい想像できないに違いない。
「ほらっ、さっさと支度なさい!」
「は、はい!」
まだトレーナーのままだった蛍の背中をパン、と叩く。
蛍は慌てて、荷物のおいてある部屋へと入って行った。



「布団は買ったでしょ、あとはベッドか」
デパートのインテリアコーナーで、古蝶は蛍を振り返る。
だが蛍は、少し焦ったように顔の前で手を振った。
「ベッドは、いいです」
「遠慮しなくていいのよ?」
今要らないとしても、いずれ蛍が引っ越す時には必要になるだろう。
そう言ってみても、蛍の表情はなぜか晴れない。
「いえ、ベッドは苦手で……。布団で、充分です」
「そう。他に欲しいものはある?」
蛍はぶるぶると首を振った。欲がないのだろうか、この子は。
古蝶は不意に、蛍の着ている服が、あまりにもくたびれていることに気づく。
「そうだ。こっちいらっしゃい」
「えっ」
急に方向を変えた古蝶に蛍が戸惑い、よろよろとよろける。
「もうっ! どん臭いわね!!」
古蝶は仕方なく息を吐き出して、蛍の手を取った。
「はぐれるんじゃないわよ」
「はい!」
蛍は嬉しそうに満面の笑みで笑って、そうしてきゅっと古蝶の手のひらを掴んだ。なんとなくその仕草が子供のようで、古蝶は少し笑うと手を引いて、エスカレーターを降りる。
この2つ下の階は、レディースが置いてあるのだ。
「さ。好きなの選びなさい」
「え……でも……」
蛍の目の前には、ずらりと高そうな服が並んでいた。
春物が多いが、セールと書かれた申し訳程度の冬物もある。
蛍はおずおずと、セール品のコーナーへ向かおうとした。
「もうっ! いいわっ、ちょっと!!」
「はい」
苛々と叫んだ古蝶が店員を手招きする。
店員は古蝶を見て一瞬、怪訝な顔をさせた。
蛍より頭ひとつ高い古蝶はいまの格好ならば女性的ではあるが男性なのに、言葉は女性のそれなのだ。混乱したのだろう。
それでも古蝶はそんなことを気にするはずがなかった。
「この子に似合いそうな格好、適当にみつくろって頂戴。上から下まで全部ね」
「かしこまりました」
店員は軽く会釈して、蛍を眺めてからハンガーや棚をいくつかチェックして、一枚のワンピースを手に取る。
「で、でも……」
蛍は古蝶の言葉に完全に戸惑っているようだった。
おろおろと店員と古蝶を交互に見て眉根を寄せた蛍を、古蝶は腕組みをして睨み付ける。
「あーもううるさいっ! これ以上ごちゃごちゃ言うと、家においてあげないわよ!」
「はいっ」
びくりと蛍は背筋を伸ばして、もうまごつくことはしなかった。
水商売の服や、ドレスや着物のセンスならある程度は心得ている。
だが、18歳の少女の服など、元々は男として生きてきた古蝶にはどう選べば良いのかよく解らない。
ここはプロに任せるのが賢明だ。
やがて店員が腕に何枚もの洋服をかけ、蛍を連れて試着室へと行った。
それから1、2分ほどで試着室のカーテンがシャッと開き、中から恥ずかしそうに蛍が現れる。
店員が選んだのは、柔らかい素材の白を基調としたワンピース。それに春物のジャケットと、ミュールだった。
「似合うじゃないの」
こうして女らしい格好をさせてみると、華奢で背の高い蛍は実に可愛らしい。
「でも今はちょっと寒いわね」
「でしたら、こちらのコートを合わせていただいて、ブーツにしていただくと……」
店員が蛍のジャケットを脱がせると、代わりにコートを着せた。
コートはツイードの上品なものだったが、蛍が着ると少年らしさをより引き立たせながらも可愛らしかった。
「うん、いいわ。全部頂戴。そのまま着ていくから」
「ありがとうございます」
古蝶に深々と礼をして、店員は蛍が脱いだ服を紙バッグに入れる。
慣れないらしい服装に、古蝶の半歩後ろに立った蛍は落ち着きを無くして、古蝶の袖を何度か軽く引く。
「こ、古蝶さぁん……」
「何よ、情けない声出して。嬉しくないの?」
眉を上げて蛍を一瞥すると、蛍はぶるぶると首を振った。
古蝶は財布からカードを出そうと思い、不意にやめた。このカードは、葛城から渡されたものだ。蛍の洋服くらい、自分の稼ぎでも楽に買うことが出来る。
そうして現金で決して安くはない買い物を済ませると、深々と頭を下げた店員を後目に、古蝶は蛍の腕を引いた。
「さ。行くわよ」
「古蝶さん、ありがとうございます」
まだ戸惑っている風の蛍が、古蝶の後に続いてはにかんで笑う。
古蝶はエスカレーターで、サイドの鏡に映った蛍を眺めた。
さっきまでの田舎の匂いの残る、少年のような格好ではなく、ふわふわとしたシフォンのワンピースは改めて蛍が少女なのだと認識させる。
なんだか、着せ替え人形のようだ。
そういえば昔、自分は男友達よりも、女友達と着せ替え人形をして遊ぶ方が好きだった。
「悪くないわ」
ふふ、と蛍に笑ってみせる。それは自分のコーディネートの腕を自画自賛する言葉でもあり、素直に蛍を褒める讃辞でもあった。
蛍の表情が、ようやく安堵したように綻ぶ。
「なんだか……デートみたいです」
少し小声でそう言って、蛍の頬が紅潮する。
瞳がきらきらと喜びに輝いて、照れたように自分の身体を見下ろしたり、古蝶を見上げたりとせわしない。
「手をつないでもらったり、こうやってお買い物するの、ちょっと憧れてて……」
紅潮した頬のまま、古蝶を見上げる蛍は、可愛かった。
古蝶は思わずドキリとしながらも、その言葉に耳を疑う。
「あ、憧れって、あんた……」
処女ではない、身体はセックスに慣れていた。なのにデートに憧れる。
この少女は、一体どういう人間なのだろう。
店のホステス、 田舎育ちのモンシロは、「娯楽がないから、パチンコかオチンコしかやることないのヨォ」と下品に笑っていたが、蛍もその類だろうか?
「……お茶でも、する?」
「はいっ!」
古蝶は仕方なく、蛍の手を握った。
蛍のこのはにかんだ笑顔を続けさせるために、今日一日は男を演じてエスコートするのも悪くはないと思えた。
嬉しそうに目を細める蛍はやはり可愛くて、古蝶は複雑な気持ちになる。
蛍の小さな手は、想像していたよりもずっと温かかった。

前頁へ 次頁へ
  このページのトップへ
小説一覧へ
   
     
サイトマップ サイト概要 お問い合わせ  
Copyright(c)2004 - Kurenoaka. All Rights Reserved.