呉ノ朱

小説一覧 作品紹介 よくあるご質問 他サイトへのリンク 御感想はこちらへ 文字サイズ 大 中 小



  愛などない
  四.  

この小説に関連するシリーズ
人物紹介・作品解説へ
またも、定例の生徒会会議室に一乃はいた。
試験準備を理由に、一乃はこの数日、逃げるようにして白倉を避けていた。
週に1日しかない白倉のクラスの日本史の授業もなく、数日ぶりに顔を合わせることとなった白倉は、だが一乃を見なかった。
淡々とした会議は滞りなく終わり、数日後に控えた選挙の準備のために、生徒達は忙しそうに席を立つ。
白倉が立ち上がり、一乃のところまで来た。
「もう、先生は職員室に戻ってくださって結構ですよ」
条件反射で身体を震わせた一乃をやはり白倉が見ることはない。
同じ笑顔であるはずなのに、それは随分と冷たく感じられた。
会議室から続く会長室へのドアへと向かった白倉の背中を、なぜか一乃は追ってしまった。
「白倉」
「なんです?」
にっこりと笑顔の白倉が振り返る。だが彼は自分と視線を合わせることはしない。
「い、いや……なんでもない」
かける言葉が見つからなかった。どうして自分は白倉を追ったのだろう。白倉は少し沈黙した後、すう、と視線を遠くへと向けた。
「――この選挙が終われば」
流した視線を、一乃へと戻す。ようやく彼は一乃を見た。
どきりと心臓が鳴った。
「もう、先生と授業以外で関わりを持つこともできなくなりますね。残念です」
白倉は丁寧に一礼して、会長室のドアを後ろ手で閉める。
それは彼の拒絶のように感じられて、一乃は立ちすくんだ。
白倉が、わからない。
ほんの数日前にはあんなにも情熱的に自分を求めたかと思えば、時間をおき、互いに冷静になったとはいえ態度の変化は著しい。
――これも彼の策略なのだろうか。
あれほど執拗に自分を追いつめておいて、極限のところで手放すことで、一乃が肉欲に負けて、白倉を求めるとでも?
「……馬鹿馬鹿しい」
そう呟いて、身体の奥がツキンと疼いた。




「1864年の禁門の変……ここはテストに出す」
黒板に赤いラインを引きながら、教室内を見渡せば、多くの生徒はまるで関心がなさそうに、それぞれ別 のことをしている。
一乃はそれに構わずに教科書を読み上げた。
ふと、机に向かう頭しか見えない生徒たちの中で一人、まっすぐに自分を向いている顔が目に入った。
――白倉だった。
白倉は例によってにこにこと微笑みながら、楽しそうに一乃を見ている。
意外だった。生徒会室では、あんな風に自分を無視してみせた彼が、再び自分を見ている。
そのことに、顔が熱くなるのがわかる。
「その年の末、高杉晋作が挙兵し……」
白倉が一乃を見ている。目を逸らしても、視界の隅で彼の存在をどうしても意識してしまう。
ひくりと、身体の奥が疼いた。
「あ……っ!?」
錯覚かと思ったが、その疼きはまるで電流のように、一定の間隔をもって、一乃の菊門の奥を震わせる。便意とは違っていた。
「高杉晋作は……長州藩の権力を……」
言葉が途切れる。この感じは何かに似ていると一乃は思う。
感電の感覚だと気づく頃には、一乃の膝はがくがくと震え始めていた。
生徒たちは一乃の変化には気づかない。教壇から見やった教室内の光景は、並ぶ頭だけだ。その中で、白倉だけが一乃を見ている。
「これを……正義派の……成立と……っ」
お前か、と、一乃は白倉を睨み付けた。疼く場所は、いつかの朝、白倉が指を押し入れ爪を立てたところだ。
あれは爪ではなく何かの器具を取りつけた痛みだったのか、と、わかったところでもう遅い。
白倉は笑みを僅かにも崩すことなく、じっと一乃を見つめている。愉しんでいるようにさえ見えた。
「あ、ぁ……!」
漏れる声が抑えられない。何人かの生徒が、一乃の変化に気づいて顔をあげた。
見られてしまう。こんな痴態を、他の生徒にまで。
一乃は思わず教卓にしゃがみこんだ。もう立っていることができないほどに刺激は強く、本来ならば快感を感じるはずのない場所に生まれた性感でどうにかなってしまいそうだ。
「先生、どうかされましたか」
見ずとも声の主は誰だかわかっていた。白倉だ。
ざわめき始めた教室の雑音に、彼の靴音が混ざって近づいてくる。
助けて欲しいのか、来ないで欲しいのか、一乃にはわからない。
教卓の影から、白倉の端正な顔が現れた。
見上げた瞳に、彼は神のようにさえ……見えたのだ。
そうして一乃は、伸ばされた彼の腕に縋ってしまった。
数日ぶりに触れた白倉の腕を温かいと、思ってしまう。
「先生は体調を崩されたようなので、保健室に行ってきます」
一乃の身体をうやうやしく抱きかかえて立ち上がった白倉は、教室を振り返る。与え続けられる電流に霞む目で見上げた白倉の顔は変わらず美しく、 胸が鳴るのを止められない。
いまこの試練を与えているのは確かにこの彼のはずなのに、その腕に保護されることで安堵してしまっている自分に気づかされる。
「会長、私が……」
立ち上がった女子生徒は保健委員だ。だが白倉は彼女の申し出を笑顔で止める。
「自習を続けていてください」
それだけ言って、教室を後にした。
授業中の廊下は静まりかえって、白倉と一乃の姿しかない。
自分を抱きかかえて進む白倉は、いま一乃にこの微弱な電流と共に、苦痛と快楽を与えている憎しみの象徴であるはずなのに、一乃はその腕に抱かれているしかなかった。
「大丈夫ですか、先生」
くすりと白倉が笑う。こうして支えられながら歩きながらも、身体の奥で数秒に一度、ピリ、ピリ、と電流は走り続けていた。
「僕は先生が御自分から求めてきてくださるのを待っていたのですが……それも叶わないようなので、仕方ない。作戦を変えようと思いまして、ね」
少しも悪びれた様子も見せず、許してください、と白倉は言った。
だが一乃は白倉の腕の中の、自分の姿を想像して紅潮し、それどころではない。
まるで少女だ。漫画や少女小説にありがちな、王子様に抱きかかえられる、姫君のような格好。
泣きたくなってしまった。恥ずかしいのか、或いは嬉しいのか、わからなかった。
身体は快楽を受けて大人の女のものであるのに、胸は初恋を覚えた少女のように震えている。
「――まるであなたを守る、騎士にでもなった心地ですよ」
幸福そうに微笑んでみせる白倉に、自分の胸中を見透かされたように思えて一乃はいっそう顔を赤くさせた。
――夢見ていたのでは、なかったか。
遠い少女の日 鏡を前に、自分は決して物語の中のお姫様ではないのだと絶望しながらも、いつか誰かが魔法を解いてくれることを。
心が切なく砕けそうになって、それを必死に止めた。
「馬鹿を言うな。せいぜい、魔王だろう?」
羞恥と快感に喘ぎながら、一乃はくすりと嘲笑った。
どうして白倉に対してこんな冗談を言う気になったかはわからなかった。頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
「そうですね」
白倉もまた、心底おかしそうに苦笑した。
それは今まで彼が誰の前でも見せてきた作り物の笑みではなく、初めて感情を伴っているように思えて、一乃は見とれる。
白倉の足が保健室に向かっているのではないと気づいた時には、一乃はもう生徒会長室のドアの前にいた。
「けれどそれでも貴女は、僕のお姫様だ」
恥ずかしげもなくそう言って、白倉は一乃を会長机の上に横たえた。
バサバサと書類が床に広がったが、白倉はそんなことには興味もないという風に、ネクタイをゆっくりと緩めた。
ぼんやりとそれを見上げながら、一乃は、はっ、と自嘲に笑う。
「よく言う」
自分には、魔法などかかっていないのだとずっと前から知っている。
仰向けに寝かされた背中は固い板の感触で、電流と共にその上で一乃の尻たぶは揺れる。
この快感が一乃に自覚させる。もうお前は少女ではないのだと。
「これで……満足か」
だが必死にその刺激に耐えながら、一乃は足の向こうにいる白倉の涼しい顔を睨む。
「満足させていただくのは、これからです」
白倉の白い手がつうと膝から太腿、そして腰まで滑って、ウエストのホックを外し、ズボンを引き下ろす。その下に、一乃はパンティストッキングしか着けていなかった。
朝から身体の奥で微かな疼きを感じていた。勘違いかと思っていたが、下着は滴った愛液に濡れた。
今日は下着の替えを持っていなかったのだ。濡れた下着を再び着ける気にはなれなかった。
それを見られた羞恥に一乃の顔が紅潮する。
「驚きましたね」
微かに一度目を見開いた白倉だったが、ジャリジャリとした感触のパンティストッキングの上から、秘所に触れる。
そこはもう、濡れて染みを作っていた。
白倉がすっと顔を近づけて、歯でパンティストッキングを破る。
ビイ、と指で大きく裂かれる音がやけに一乃の耳に響いた。
「外して、ほしいでしょう?」
白倉はもう一度一乃を見た。自分が許しを請うのをこの生徒は待っているのだ。
「……好きにしろ」
刺激に菊襞をひくつかせながらも、一乃の心は砕けなかった。
白倉からは一乃の襞がどのように震えているか、どれほど涎を垂らしてしまっているか、恐らく総て見られてしまっていることだろう。
「かたくなな」
白倉は指を一度舐め、そして滴り落ちている愛液に絡ませると、電流の刺激にひくついているアナルの襞に触れた。
それは電流とは違った刺激を一乃の身体に与えて、びくりと身体が震える。
すんなりと、そこは白倉の細長い指を受け容れた。
「ひ、あ……!!」
「――先生、童話の原話は大概残酷です。御存じありませんでしたか?」
のろのろと指が体内を犯してくるのがわかる。
膣に指を挿れられた時とは全く違った感覚。快感よりも、吐き気に似た気持ち悪さの方が優っている。
「例えば囚われの姫が魔王に陵辱されてしまうとか」
カリ、と指が肉壁を掻いて、針に刺された時の痛みと共に、電流の刺激が一乃の身体の中から失われた。
「は……は、ぁ……」
ようやく呼吸が楽になる。楽になれば今度は、羞恥と怒りが込み上げてきた。
「どうしてこんなことを……!」
「どうして?それはこれからわかりますよ、先生」
白倉の指は汚れてはいなかった。小さなチップのような物が指先に付着していて、それを白倉は握りつぶす。
手を伸ばして、会長席の引き出しから彼は何かを取り出した。
ドレッシングのボトルのようなものに入った、透明の液体と、軟膏のようなもの。
身じろぎする暇も与えない素早い動きで、白倉が軟膏を指に塗布し、一乃の菊襞を愛撫した。
「これが何だかわからないといった風ですね」
一乃は顔をよじるようにしてその軟膏のパッケージを見れば、Xylocaine Jellyと書かれていた。その下に小さく、表面 麻酔薬、とある。
「麻酔……!?」
菊襞を愛撫されるのは、奇妙な心地だった。クリトリスを撫でられる時のような明らかな性感があるわけではなく、けれどさっきまで入れられていたチップのせいで敏感になったそこは、火照ってゼリーの冷たさを心地よいとさえ受け止めている。
「そ…んな……とこ……」
爽やかな笑顔のまま、愛液よりも粘った質感を持つボトルに入った液体を指に絡めて、白倉が指をアナルに挿入してくる。
「ひっ、ひ……ぃっ!」
「痛みは感じないはずですが」
敏感になった腸壁が、白倉の指の形状まで伝えてくる。
一乃はのけぞった。痛みはない。だが。
「先生は処女、ですね。ならば僕がそれを奪うにはあまりにも忍びない」
大きく開かれた足の間から、白倉の腕が動かされているのがわかる。
「藤篠の御長女なのですから、いずれ嫁ぐ男に疑われるようなことは……ね」
「そう、思うなら……っ!」
やめろ、という声は声にならずに喘ぎに変わった。指が二本に増やされて、入り口を広げるようにしながら中で擦り合わされている。
「ですがそれでもあなたが欲しい」
白倉は喘ぐように言った。切なげな吐息だった。
聞き慣れた金属音は早く、白倉の膝が机の上に乗った時には、もう自分の茂みの向こうに彼のそそりたったものが見え隠れしていた。
「ま、さか……!」
ずるりと指が引き抜かれて、代わりにあてられたのは白倉のまだ若く固いもの。
一乃は本能的な恐怖に、ざわ、と肌を粟立たせる。
入るわけがない。
「ああ、やっと絶望してくださった」
ダン、と白倉の腕が降ってきて、抵抗を示した一乃の身体を会長机に押し戻す。
一乃の両足が高く上げられる。そこに密着するように、白倉の腰が近づいてくる。
「いやだ、や、め……っ」
「僕はね、嘘はつかないんですよ」
あなたを犯すと言ったでしょう、と、白倉のものの先端が一乃の菊襞を割った。
麻酔のせいだろうか、そこは痺れたように裂ける痛みはない。
だが、吐き気を誘うほどの圧迫が侵入してくる白倉の男性自身と共に一乃の体内に響いてくる。
「あ、ぁ……あ!!」
内臓がぐっと上に押し上げられる感覚。白倉のものが本来ならば排泄のための器官を侵していく。
半分ほど押し込んだところで、白倉の身体が一乃の上に乗った。
肩口を机に押しつけていた腕が、頭を撫でる。
「ようやく……繋がられた」
その微笑みは僅かに眉を歪ませて、苦痛と屈辱に喘ぎながらも、一乃はこの生徒は美しいのだと思わずにいられない。
自分とはあまりにも違う、総てを持っているこの生徒。
それを疎んじてきた彼だからこそ、一乃の屈辱感を煽るのだと理解する。
ぞくぞくと何かが込み上げてくる。犯されている。白倉に、犯されている。
「は……、ぁ……っ!」
きちきちと白倉のモノをくわえている菊門がしなった。白倉がゆっくりと律動すると、ぴったりと貼り付くような腸壁が引っぱられるように苦しい。
「う、動く……な」
「動かなければ終わりませんよ」
繋がった場所が焼けるように熱い。白倉のものの先端が、さっきまで電極をつけられていた場所を擦って、ひくひくと一乃の身体の奥を快感に震わせる。
「凄い締めつけですね、先生」
先生と呼ばれて、興奮が強くなる。
本来ならば性交に使われることのない場所。だが、そこを使うこともあるのだと、一乃は知識だけで知っていた。
白倉の指が、ぐっとクリトリスを摘む。
「あぁっ!あ、あっ、あ……」
「いい声だ」
うっとりと顔のすぐ上で白倉が言った。
直接的な快楽を指が与えていくことで、アナルの圧迫感が少し和らぐ。
白倉を包んでいる自分の襞が、震えているのが自分でもわかる。
いやらしい音が聞こえていた。ぐちゅぐちゅと、自分の性器ではないそこと白倉の性器が擦り合う音。
教師も生徒も、この机の上では関係がないのだと一乃は思い知らされていた。
ここにいるのは男と女で、そして雄であり雌だ。生殖を伴わないこの行為は、動物にさえ劣っている。――けだものですらない。
「達きます」
「あ、あっ、ひっ……!」
かき乱すように激しく白倉の指が一乃の秘所をまさぐり、男性自身が突き上げた。
犯されているのに、こんな淫猥な格好で机の上で授業中に生徒に、あろうことか菊門を犯されているのに、この目眩のような快楽はなんだろう。
「あ、だめ、だ……めっ!」
込み上げてくる絶頂感は前回より強いもので、一乃は腕を伸ばして必死に白倉の肩にしがみついた。子供のように。
白倉が驚いたように目を見開く。
「……反則ですよ」
泣きそうな顔を一瞬させた白倉が、ぎゅっと一乃の身体を抱きしめる。そうして、腰の動きが止まった。
弾けるように自分の体内の白倉自身が膨張し、鼓動する。
「っ、――ぁっ!!」
腸内に注がれてくる飛沫は熱く、その熱に応えるように一乃は白い絶頂を迎えた。
恋人同士のように抱き合ったまま、一乃は白倉の背中を握りしめた手を、離すことができなかった。


「中に射精しました。後ほどお腹を下されるかと思いますので、御注意ください」
チャイムの音で白倉の身体が離れた後、乱れたシャツを直しながら彼は診察を終えた医者のように冷静に言った。
白倉は例によって、一乃の身体を丁寧に拭い、この時ばかりは絶対者である彼がまるで自分の騎士であるかのような錯覚を起こす。
一乃は呆然としたままだった。拡げられたアナルは異物感を残していたし、破られたストッキングはもう履くことはできない。
処女を失ったわけではない。けれど、セックスがどのようなものか、身体に乗る男の重みを、他人に揺さぶられる衝撃を、一乃の身体は確かに知った。
「? どうかされましたか?」
一乃を立たせて、白倉は何一つ変わらない笑みを僅かに怪訝げにさせて、一乃の髪へと手を伸ばそうとした。
思わずそれを一乃は振り払おうとして、振り上げた手を止める。
「私は……おまえのお姫様なんかじゃない」
どんな顔をしていいか、何と言葉を返していいか、わからなかった。
白倉の手があまりに優しく髪を撫でるので、声が震えてしまう。
「……僕もあなたの王子様ではないでしょうね」
寂しげに微笑んだままの白倉の言葉に、一乃は瞠目した。
息が突然うまくできなくなる。
「いずれあなたの元にはお城からの招待状が届くでしょう。そしてあなたは王子に出逢う。ふたりは結婚し……幸せに暮らす」
意味のわからないことを言って、白倉の手がさらりと一乃の髪の束を撫で、離れて行った。
胸が詰まって、息が苦しい。
白倉の背中は何かに傷ついているように見えた。
この学園の王として君臨している彼の姿はいまどこにもなく、彼がまるでただの18歳の少年のように思えて、一乃はかける言葉が見つからない。
「僕はその前の一瞬、あなたを攫っただけの、魔王です」
白倉は一乃に背を向けたまま、遠くを見ていた。





白倉のあの背中が、胸を占めて離れていかなかった。
帰り道の通学路には、仲睦まじく手を繋いで帰る男女の生徒の姿がちらちらと見える。
その片方に白倉を、もう片方に高校時代の自分を当てはめて、一乃は苦笑する。あまりにもつりあわなかった。
何より、最初から有り得ない。
教師と生徒として出会ってしまった。それは変えようがない現実なのだ。

「一乃さん、ちょっと宜しい?」
ただいま帰りました、と玄関を入った一乃に、リビングから母親が顔を出す。三人も娘を産んでも尚色褪せない、可憐で優しいこの義母を、一乃は好きだった。どうして自分はこの母親から生まれられなかったのか、と思うほどに。
だがその花のかんばせが、今日は少し曇りを帯びている。
「お父様が、一乃さんにお話があるそうで」
「わかりました」
彼女を心配させないよう顔色には出さずに、少なからず一乃は緊張した。
あの盗撮の件や白倉との情事が理事である父親の耳に入ったのではないかと思ったからだ。
だが、階段を降りリビングへ向かった一乃を迎えたのは、珍しく早く帰宅し、酒を呑んで上機嫌な父親と、彼が指しだした豪奢な柄の布張りのブックレット。
「なんですか、これは」
「まあ、見てみろ」
父親の向かいのソファーに腰掛けて、それを開いた一乃の眉は吊り上がった。
一枚の写真。だがそれは一乃が危惧したようなものではなく、きちんとした身なりの背筋を伸ばした、適齢期の男の写 真だった。
――いずれあなたの元にはお城からの招待状が届くでしょう。
さっきの白倉の言葉を、一乃はようやく理解する。
「これ以上良い縁談はないぞ、一乃」
一乃はさらりとその男を眺めて、ファイルを閉じる。
容姿は決して悪くはない。年の頃も三十過ぎの、いかにも純粋培養されたといった雰囲気を持っていた。
ふと、その写真の男に、白倉を探している自分に気づかされる。
一乃は少しの躊躇いの後、その見合い写真をガラステーブルに載せて、父親に突き返す。
それは勇気が要った。
「……私はまだ誰とも結婚するつもりはございません」
いままで父親の言うように生きてきた。大学に残り歴史の研究を続けたいという淡い夢も切り捨てて、鷺ノ宮の教師となった。
いずれ父親の駒として誰かの元へ嫁がされることもどこかで知っていた。
だから夢を見ることなどできなかった。少女でいることもできなかった。――だが。
「まだ?ではいつになる。いずれするんであれば、貰い手がある内の方がいいだろう」
自分とそっくり同じ顔をした細面の父親は、一乃の言葉になど耳を貸すそぶりも見せなかった。
緊迫した空気に、一乃の隣に座っていた母親が、おずおずと双方を見る。
「わ、私は一乃さんのお気持ちに任せて差し上げた方が……」
「お前は口を挟むな」
ありがとうお母さん、と一乃は言って、立ち上がる。
父親が何を望んでいるかわかっていた。
この藤篠は、確かに旧家と呼ばれる程の家柄ではあったものの、所詮成りあがりの、由緒を誇れるようなものでもない。
一乃を名家に嫁がせることで、自分の矮小な自尊心を満たしたいだけなのだ。
「好きな男でも、できたか」
リビングを出ようとした一乃の背中に、父親の嘲笑混じりの声が投げつけられる。
ぎくりと一乃は身体を強ばらせた。
「……先方に失礼ですから、当日の席には出ます」
それだけ言い残して、一乃は階段を上がる。
白倉の顔が浮かんで消えない。
白倉は、どんな顔をするだろう。自分が見合いをすると知って。
そこまで考えて、一乃はハッとさせられた。
――白倉は、わかっていたのだろうか?総て?
藤篠の娘である自分が、いずれこんな風に誰かの物になってしまうことを。
誰よりも頭の良い生徒だ。
総てわかったうえで、計算したうえで……一乃を犯した。
ドン、と、一乃は階段の壁にもたれる。
至った結論は、おそらく間違えてはいない。
顔を片手で覆う。
胸が苦しい。これは切ないという感情だっただろうか。
前頁へ 次頁へ
  このページのトップへ
小説一覧へ
   
     
サイトマップ サイト概要 お問い合わせ  
Copyright(c)2004 - Kurenoaka. All Rights Reserved.